ヴェネツィア_4  Venezia_4

46. Santa Maria Maddalena サンタマリア・マッダレーナ聖堂

 

 Cannaregio地区にある聖堂です。La Maddalena (マッダレーナ)と呼ばれています。

 

  

 13世紀初頭に建設された後、18世紀に新古典主義様式で改築されています。設計したテマンツァ (Tommaso Temanza)は理論家で歴史家でもありましたが、この聖堂に埋葬されています。

 

 

 テマンツァはパドヴァ (Padova)にある、サンタ・マルゲリータ (Santa Margherita di Antiochia)聖堂を設計しています。同様にローマ神殿のような聖堂です。

 

 

 

 ローマのパンテノン神殿を縮小したような形態で、中央に一カ所ある扉口の両脇にある二本ずつのイオニア式円柱が三角形の破風を支えています。

 

内部 (Wikimedia Commonsより)
内部 (Wikimedia Commonsより)

 

 聖堂内は六角形で四カ所の祭壇があります。

 

 近年再改築され、現在では展示場として使用されるなど、聖堂としての役割は果たしていません。

 

47. Santa Maria Mater Domini サンタマリア・マーター・ドミニ聖堂

 

 Santa Croce e San Polo地区にある聖堂です。

 

 

 聖堂の正面は非常に狭い道 (Corte Piossi)に面しており、聖堂の前を通っても気が付かないほどです。

 

 聖堂の裏手は運河になっています。大運河に面したカ・ペーザロ国際近代美術館 (Ca Pesaro Galleria Internazionale d'Arte Moderna)の2ブロック南にありますが、非常に分かりにくい場所です。

 

 

 

 

 聖堂の正面には広場はありませんが、南には聖堂名の狭い広場があり、井戸もあります。恐らく、聖堂前の広場に後に建物が建設された結果、聖堂の正面が隠れてしまったものと思われます。

 

 聖堂の左手には鐘楼もあり、規模が大きかったことが分かります。

 

 

 10世紀末に建設されましたが、16世紀に改築されています。設計はコドゥッシ (Mauro Codussi)が行ったとされていますが、翌年死去したため、実際の改造にはヴェネツィアで活躍したサンソヴィノ (Jacopo Sansovino)が関与したとされています。ロマネスク様式の聖堂です。

内部 (Wikimedia Commonsより)
内部 (Wikimedia Commonsより)

 

 聖堂内は三廊式です。

 

主祭壇 (Wikimedia Commonsより)
主祭壇 (Wikimedia Commonsより)

 

 中央主祭壇には聖母子画が置かれています。

48. Sant'Antonino Martire 殉教者聖アントニノ聖堂 (Sant'Antonin)

 

 Castello地区の聖堂です。Sant'Antonin (サンタントニン)聖堂と呼ばれています。

 

 

 聖堂の前には狭い広場があるだけで、運河 (Rio Sant'Antonin)に掛かる橋から聖堂の右半分が見えています。

 

 

 8世紀に個人の礼拝堂として建設されましたが、12世紀に改築され、更に17世紀にはヴェネツィアの最大の建築家である、バルダッサーレ・ロンゲーナ (Baldassare Longhena)の設計で改築されています。

 

 18世紀になって建物の上に鐘楼が継ぎ足されています。

 

 

ロンゲーナに関しては、サンタマリア・デラ・サルーテ (Santa Maria della Salute)聖堂を参照ください。

内部「聖サバ礼拝堂」Cappella di San Saba(Wikimedia Commonsより)
内部「聖サバ礼拝堂」Cappella di San Saba(Wikimedia Commonsより)

 

 聖堂内は単廊式です。

 

 扉口の両脇と中央主祭壇の脇に礼拝堂があります。更に左側壁に突出した形で礼拝堂 (Cappella di San Saba)がある、聖堂としては異形です。

 

49. Sant'Apollinare 聖アポリナーレ聖堂 (Sant'Aponal)

 

 Santa Croce e San Polo地区にある聖堂です。

 

 

 Sant'Aponal (サンタポナル)聖堂と表記されますが、正式名は聖アポリナーレ聖堂です。ヴェネツィア独特の短縮表現によるものです。

 

 

 ラヴェンナ (Ravenna)からの避難者により11世紀に建設されました。そのため聖堂はラヴェンナの守護聖人の名前を冠しています。

 

 15世紀に改築された後、ナポレオンの時代に廃院とされ、その後復活したものの、政治犯を収容する監獄として使用されてきました。

 

 

 現在では図書館となっており、聖堂の役割は果たしていません。

 

 聖堂の正面には一カ所の扉口があり、その上には浮彫が並んでいます。

 

 頂点にはキリスト、左右に聖母と聖ヨハネが見られます。その下の磔刑のキリスト像の浮彫の右は聖母像ですが、左は聖ヨハネではなく、両手の聖痕を示すキリスト像が立つという、奇妙な組み合わせになっています。

 

 更にその上には16世紀作の聖母子像の浮彫があります。

 

 

 丸窓の上に十字架があり、頂点には尖塔が載っています。

 

 すべて直線上に装飾が施されています。扉口の両側の片蓋柱と建屋の両脇の控柱の頂点にも尖塔が載っています。

 

50. Santi Apostoli 聖使徒聖堂

 

 Cannaregio地区にある聖堂です。

 

 

 大運河でサン・マルコ広場に向かうと、リアルト橋に向かって緩やかに右に湾曲する手前から北上するアポストリ運河 (Rio dei Santi Apostoli)を上ると聖堂前の広場に出ます。

 

 聖マグノ (San Magno)により、643年に建設された聖堂の一つです。12羽のサギが聖マグノの前に現れた後、聖十二使徒のお告げを聞いて建設したとされる聖堂です。

 

 11世紀に建設された後罹災し、再建を繰り返しています。

 現在の聖堂は16世紀に建設されたものです。

 

 運河側からの正面右手の鐘楼と聖堂のドームは見事な構造美を見せています。

 

 鐘楼は11世紀に火災で倒壊し、再建されたものの17世紀に倒壊し、再度再建されています。

 

 

 聖堂内は単廊式です。

 

 主祭壇の両脇の祭壇は主祭壇より奥行きがあります。

 

 

 両側壁に五カ所の礼拝堂があります。

 

 

 扉口の内側にはオルガンがあります。

 

 

 1510年に死去したキプロスの王妃であったカタリナ (Caterina Cornaro)はこの聖堂内に埋葬されましたが、その後聖サルバドール (San Salvador)聖堂に移遷されています。

 

 なお、カタリナについては、福音書記者聖ヨハネ同信会 (Scuola Grande di San Giovanni Evangelista)の項を参照ください。 

 

51. Santissimo Redentore レデントーレ聖堂 (Il Redentore)

 

 Giudecca地域にある聖堂です。

 

 通常はIl Redentore (レデントーレ)と呼ばれています。Il Redentoreとは、救世主 (the Redeemer)のことです。

 

 1575年にヴェネツィアで流行したペストでは街の半数が死亡したと言われています。その惨禍からの救いを求め、ペストの終焉の祈願成就に感謝を込めて建設された聖堂です。

 

 

 

 

 

 そのために聖堂建設の地として、街の中心から離れた島が選ばれています。現在でも街の喧騒から離れた過疎の地域になっています。

聖ジョルジョ・マッジョーレ (San Giorgio Maggiore)聖堂
聖ジョルジョ・マッジョーレ (San Giorgio Maggiore)聖堂

 

 聖堂を建設するに当たり、パッラーディオ (Andrea Palladio)に設計が依頼されています。パッラーディオは聖ジョルジョ・マッジョーレ (San Giorgio Maggiore)聖堂 (左図)を設計した後にこの聖堂に関与しているので、二つの聖堂の構成に類似点が見られます。

 

 

 

 幅広い運河 (Giudecca Canal)から見た聖堂は、白大理石製の二本のコリント式柱頭飾りの付いた円柱と両脇の矩形の控柱が三角形の破風を支え、柱の間の壁龕に聖人像が収まっています。

 

 中央にある一カ所の扉口の脇には円柱が一回り小さな破風を支えており、その上には大きなドームが見えています。その頂点には救世主像が載っています。

 

内部 Interno (Wikimedia Commonsより)
内部 Interno (Wikimedia Commonsより)

 このように集中様式の聖堂のように見えますが、実際には両脇に礼拝堂が並ぶ三廊式で、奥行きのある聖堂です。ドームの両脇に鐘楼が聳えています。

 

 7月の第三日曜日には「キリストの贖いの祝宴」(Festa del Redentore)が開催されます。

 

 ペストが収まったお礼にヴェネツィア総督以下行列で聖堂に向かう儀式がもとになっています。

 

 現在でも、対岸の、Dorsoduro側との間に浮き橋が渡され、花火が上がり、多くの観光客が訪れる大イベントになっています。

52. Santo Stefano 聖ステファノ聖堂

 San Marco地区にある聖堂です。

 

 サンタ・ルチア駅前から大運河を水上バスでサン・マルコ大聖堂に向かい、アカデミア美術館前の停留所で下船して、大運河をアカデミア橋で渡ると大きな聖ステファノ広場 (Campo Santo Stefano)に出ます。この広場はサン・マルコ広場に次ぐ広さで、中央には19世紀に「未回収のイタリア Italia irredenta」を標榜し、オーストリアの支配に対抗した英雄のニコロ (Nicolo Tommaseo)の銅像が立っています。ニコロは言語学者としても著名な人物です。

 

 聖ステファノ聖堂はこの広場の北側にあります。14世紀に建設され、15世紀にゴティック様式の扉口が付けられています。


 

 聖堂内は三廊式です。

 

 主祭壇にはキボリウムがあり、左側には聖マルコ、その上に聖ステファノ、右側には聖キアラ (Santa Chiara de Montefalco)、その上に聖アゴスティノの立像があります。

 

 奥のアプシスの窓ガラスを通して光が差し込んでいます。両側面に六人ずつ聖使徒の像が並んでいます。

 

 

 両側面には祭壇が並んでいます。

 

 

 高い天井は、特徴のある木造の船底構造で大理石の片蓋柱で支えられています。

 

 ティントレット (Tintoretto)作、「最後の晩餐」、「弟子の足を洗うキリスト」、「庭園の説教」の傑作は祭具室内に保存されています。

 

 ヴェネツィアーノ (Paolo Veneziano)14世紀作のキリストの磔刑像、ヴィヴァリーニ (Bartolomeo Vivarini)作の「聖ロレンツォとバリの聖ニコロ」の多面祭壇画が保存されています。

 

ムラーノ島  Murano

 ヴェネツィア本島北東にある人口6,000人ほどの島で、水上バスで15分ほどで到着する。運河により7つの島に分かれている。ヴェネツィアン・グラスで有名。

53. San Pietro Martire 殉教者聖ピエトロ聖堂

 

 ヴェネツィアのCannaregio地区のノーヴェ (Nove)波止場からムラーノ島に向かい、コロンナ波止場 (Murano Colonna)で下船して運河に沿って北上すると左側に見えてきます。

 

 運河沿いはガラス製品を商う店が並んでいます。

 

 14世紀半ばにドメニコ派の修道院として開設されています。15世紀に火災で崩壊した後1511年に再建されています。19世紀初頭に廃院にされましたが、20世紀になって復活しています。聖堂名も変遷してきた歴史を持っています。

 

 聖堂の右側面が運河に面しており、聖堂の前には広場はありません。一カ所の扉口の上に丸窓があり両脇に片蓋柱が屋根まで届いていますが、化粧板は無く煉瓦のままです。

 

 左手奥の鐘楼は裏手にある運河を渡らないと見えません。

 

 

 聖堂内は三廊式です。

 

 

 中央主祭壇にはキボリウムがあり、奥にはオルガンがあります。

 

 

 主祭壇の右側にはリッテリーニ (Bartolomeo Litterini)作の「カナの結婚 (le nozze di cana)」の壁画が、

左側には同じリッテリーニ「パンと魚の奇跡 (la moltiplicazione dei pani e dei pesci)」の大きな壁画が見られます。

 

 右側壁の最初の祭壇にはパルマ (Palma il Giovane)作、「聖ニコロ、聖ルチア、聖カルロ」があります。

Madonna col Bambino, angeli, i santi Marco e Agostino e il doge Agostino Barbarigo (Giovannni Bellini))
Madonna col Bambino, angeli, i santi Marco e Agostino e il doge Agostino Barbarigo (Giovannni Bellini))

次に、ベリーニ (Giovanni Bellini)作、「ヴェネツィア総督と聖母子 (Madonna col Bambino, angeli, i santi Marco e Agostino e il doge Agostino Barbarigo)」があり、

ティントレット (Tintoretto)作「キリストの洗礼 (Il Battesimo di Gesù)」と傑作が並んでいます。

 

 

 

 絵画の並ぶ祭壇が運河の面に沿っているため、採光が良くないので名画が見えにくいのが難点です。

 

54. Santa Maria degli Angeli サンタマリア・デリ・アンジェリ聖堂

 

 殉教者聖ピエトロ (San Pietro Martire)聖堂の右側面を進み、運河を渡って左折してヴェニエ通り (Fondamenta Venier)を進むと右手に見えてきます。

 

 聖堂には受胎告知の浮彫のある小さな門をくぐって入ります。

 

 

 12世紀にアウグスト派の聖堂として建設され、15世紀に再建されたルネサンス様式の古い聖堂です。

 

 19世紀初頭には廃院され、修道院も閉鎖され、収蔵されていた絵画は殉教者聖ピエトロ聖堂に移管された経緯があります。19世紀半ばに聖堂として復興しています。

 

 ベリーニ (Giovanni Bellini)作 「ヴェネツィア総督と聖母子」は、もともとこの聖堂の祭壇画でした。

 

 

 正面には一カ所扉口があり、両脇の片蓋柱が三角形の屋根まで伸びています。

 

 

 

 

 両脇には窓が並び、左手には鐘楼が聳えています。

 

 

 

 聖堂内は単廊式です。

 

 

 正面主祭壇には受胎告知の場面が掲げられ、周囲を天使像が飛び交うバロック様式の華やかな祭壇です。

 

 

 天井は15世紀のニコロ (Nicolo Rondinelli)の作で、中心に聖母戴冠が描かれ、周囲には旧約聖書の預言者、聖使徒、福音書記者、教会博士等26枚の絵が嵌められています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 なお、通常は閉門されており、一般公開はされていません。

 

 

55. Santi Maria e Donato 聖母と聖ドナート聖堂

 

 殉教者聖ピエトロ (San Pietro Martire)聖堂の右側面を進み、運河を渡って右折してロンガ通り (Rive Longa)を進むと左手に見えてきます。

 

 

 聖堂前には広場 (Campo San Donato)があります。

 

 

 鐘楼は聖堂から離れて立っています。

 

 

 伝承では、ヴェネツィア本島からの避難者により7世紀に建設されたとされています。

 12世紀初めにギリシャのケファリニア島 (Cephalonia)から聖ドナートの聖遺骨がヴェネツィア総督によりもたらされ、この聖堂に祀られたことで、聖ドナートはムラーノ島の守護聖人となっています。

 

 聖堂の正面はロマネスク様式で、煉瓦積みが見える粗造りのままで、化粧板もありません。一カ所に扉口があるだけの簡素な造りです。 

 

 後陣に回ると18世紀に改築された二層建てで、二階部分は拱廊になっており連続する二連式の大理石の円柱がアーチ型飾りを支えています。

 

 聖堂の正面と裏側で印象が非常に異なる聖堂です。

 

 

 聖堂内は三廊式です。

 

 主祭壇には聖ドナートの聖遺骨が納められたキボリウムがあり、その奥には聖母被昇天の浮彫彫刻が見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アプシスの半円形ドームには12世紀に制作された、金地に青衣の立ち姿の聖母のモザイク画が見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見事な造りで、ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂のモザイク画と同時期の制作と見なされています。

 

 

 

 

 

 身廊にはビザンティン様式の柱頭飾りの円柱がアーチ型の壁を支えて並んでいます。

 

 天井は木造の切妻型で、15世紀に作成されています。両側面に祭壇は無く簡素な印象を与えています。

 

 

 扉口の内側には、聖母子と聖人の絵が掲げられています。

 

 

 床には多彩色のヘラクレス結び、鶏とキツネ、孔雀などの12世紀のモザイク画が見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このような床モザイク画はヴェネツィアではほとんど見ることができません。