グラード Grado

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 グラード (Grado)は、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州ゴリツィア県 (Gorizia)にある町。

 

 中心街は、アドリア海北縁の潟湖 (ラグーナ)に浮かぶ「イーゾラ・ドーロ (Isola d'oro)」にある。

 

グラード Grado

街の説明

イタリアの北東部に在り、アドリア海の北の端に浮かぶ島でしたが、現在ではコーズウェイでイタリア本土と繋がっています。

ヴェネチアから訪問する場合には、二通りの方法があります。

ウーディネ(Udine )までローカル電車で2時間かけて行き、ウーディネから1時間ほどかけて、バスで訪問する方法です。もう一つは、チェルヴィニャーノ・アクィレイア・グラード(CervignanoAquileiaGrado)までローカル電車で1時間半かけて行き、そこからバスに乗り換える方法です。バスは30分ほどですが、電車の本数は一日に10本ほどしか有りません。また、バスの運行本数は限られていますので、往復の時間を確認しておくことをお勧めします。いずれにしても訪問するには不便なところです。

トリエステ(Trieste)からはチェルヴィニャーノ・アクィレイア・グラードに40分ほどで行けます。

なお、バスは途中でアクィレイア(Aquileia)の村を経由しています。

ローマ時代から繁栄したアクィレイアの街が、5世紀以降北方の蛮族から度重なる襲来を受けたことにより、アクィレイアの総主教が敵の侵略から街を守るために、大聖堂の秘宝を携えてラグーンに在る島の一つに避難したことから街が形成されてきています。従いまして、当初は新たに建設された大聖堂を中心とする宗教都市でした。小さな街ながら、多くの聖堂が存在していることがそれを裏付けています。

  注:アクィレイアの項をご参照ください。

街がアドリア海のラグーンの島を元に埋め立てて出来たことや大聖堂を中心に街が発展したことなど、立地条件や歴史的背景はヴェネチアと似たところがあります。しかしながら、その後の街の発展が大きく異なったことから、グラード゙は「ヴェネチアになり損ねた街」と言う不名誉な呼ばれ方をされる場合があります。

なお、ヴェネチアにはアクィレイアやグラードからの避難民により建立された聖堂があります。

街を歩くと、建物の上には十字架が載っており、その入口は聖堂の正面のように見える建物が在ります。また、聖堂の鐘楼であっただろうと思しき方形の高い建物を見ることもあります。しかしながら、現在では少なくない数の聖堂がその役割を果たしておらず、店舗や住居になっています。

聖エイフェミア聖堂がアクィレイア総主教の主教座聖堂でなくなり、アクィレイア総主教がグラードの街からヴェネチアに移った後、街は急速に衰退に向かったことが推測されます。

ヴェネチアは例年大勢の観光客を呼び込む大都市ですが、グラードも高級リゾート都市として海岸には高層ホテルが並び、観光客相手の店も軒を連ねています。ヨットハーバーが完備しており、富裕層の別荘も見られます。喧騒もなく、清潔な落ち着いた街です。

 

なお、街の中心に聖堂などが集中していますので、散策しても迷うことは有りません。 

 

 

 

 Sant’Eufemia   聖エウフェミア聖堂

4世紀に建設されていた聖堂を、6世紀末にアクィレイア総主教のエリア(Elia)がカルケドンの聖エウフェミア(Sant’Eufemia di Calcedonia)に奉献し、拡大して改築した聖堂です。

少々混乱するかもしれませんが、7世紀初期にはグラードに避難したアクィレイア総主教とは別に、避難する前のアクィレイアの地にあって、新たにアクィレイア総主教を宣言した聖職者が現れます。これによりアクィレイア総主教が併存することになります。

しかしながら、この聖堂が建設された当時はグラードに移った、アクィレイア総主教の権勢は絶大なものでした。

聖堂の正面には三箇所の扉口が有り、中央扉口の上にはアーチ型の窓が三箇並んでいます。

側壁には九箇所窓が二層に並ぶ大きな聖堂です。

聖堂内は三廊式で、中央主祭壇奥のアプシスには13世紀に描かれたフレスコ画が有ります。玉座のキリストの周囲を四大福音書記者の表象が囲み、脇には聖エイフェミアと洗礼者聖ヨハネ、アクィレイア聖堂の創始者の聖エルマゴラ(SantErmagora)と聖フォルツナト(San Fortunato)が描かれています。

中央主祭壇には黄金製の衝立が置かれており、三層に聖人・聖職者・天使が浮き彫りになっています。

床には幾何学模様のモザイク画が施されていますが、一部鳥や草木も見られます。

身廊の左側に説教台が有り、周囲には聖書を持った四大福音書記者の表象が彫られています。側壁にはフレスコ画の痕跡も一部見られます。4世紀に建設された初期の聖堂の痕跡はコリント式の柱頭飾りがある柱や、床のモザイク画の一部に見ることができます。

なお、側壁の壁龕には聖母子像が置かれており、絵画も見られますが、近代のものです。

聖堂の右手前に建つ高い鐘楼はアクィレイア総主教座が1451年にヴェネチアに移行された後の1455年に建設されています。頂上には大天使ミケーレが載っています。

聖堂内の右側奥から聖堂の外の裏側に回ることができます。ローマ時代の人物像の浮彫の断片やビザンティン様式の彫刻の一部、聖堂に関連する装飾品などが展示されています。

 

なお、聖堂前の広場に、聖堂と向かい合って小さな聖堂が在ります。建物の奥に鐘楼が組み込まれた単廊式の小さな聖堂ですが、閉鎖されており、既に聖堂としての役割を果たしていません。

 Battistero   洗礼堂

聖エウフェミア聖堂の付属洗礼堂で、聖堂に向かって左側の奥に在る八角形の建物です。

5世紀後半に建立されましたが、その後改築されています。現在では煉瓦を積み上げたロマネスク様式を残しており、各面の上層部にはアーチ型の窓が在ります。

洗礼堂の中央には煉瓦積みの大きな六角形の洗礼盤があり、内側は大理石で覆われています。全身浸水式の洗礼堂であったことが判ります。石造の祭壇には十字架の下に孔雀が向き合って彫られ、上の両脇には二羽の鳩が中央に向かって飛来する様が浮き彫りで施されています。

床には6世紀に施された幾何学模様のモザイク画が一面に敷き詰められており、アクィレイアの大聖堂で見られた床面のモザイク画と同様の模様が見られます。

 

洗礼堂までの通路の脇にはローマ時代の石棺が展示されています。

Santa Maria della Grazie    サンタマリア・デラ・グラツィエ聖堂

聖エウフェミア聖堂前の広場の北の奥に在ります。

5世紀ころに建設されており、その後ロマネスク様式に改築されています。正面には階段を上って入る扉口が一か所あり、その上には三連式のアーチ型窓が在ります。両脇の片蓋柱が煉瓦積みの聖堂にアクセントをつけています。

聖堂内は三廊式で、小さな聖堂の割には身廊の天井は高く、アーチ型の窓が多く在り、聖堂内の採光は良好です。円柱にはアーカンサス模様の柱頭飾りのほか、イオニア式の柱頭飾りも見られます。聖エウフェミア聖堂と構造は同じです。

身廊の奥は石造りの低い内陣壁で主祭壇を区画しています。右側の石板には十字架に向き合う二羽の孔雀と十字架に乗る二羽の鳩の浮き彫りが施されています。左側の石板には水盤の周りに鳥が遊び左右に十字架が彫られています。洗礼堂の祭壇に見られる彫刻と同じ形態をしています。

内陣の床はモザイク画で敷き詰められていますが、側廊の床にも幾何学模様のモザイク画の跡が残っており、一部色彩の残る鳥が見られます。アクィレイアの大聖堂のモザイク画との類似性が見られます。

 

なお、左側壁の壁龕に新しい聖母像が置かれてはいますが、中央主祭壇にもアプシスにも側壁にも一切絵画は見られません。

Basilica della Corte  コルテ聖堂

海岸に面して、ホテルや市庁舎が建っています。その一本内側に在る海岸広場(Piazza Biagio Marin)に在る聖堂です。

現在では完全な廃墟となっています。

史跡案内によると、聖堂は4世紀末から5世紀初めに建設されており、ほぼ東西を向いていました。聖堂正面の手前には八角形の洗礼堂が在ったようです。20世紀になって本格的な発掘作業が行われており、地表から1メーターほど掘り下げられています。

聖堂の床はモザイクで幾何学模様が描かれていたと思われ、その遺跡の一部が見られます。

 

数個の石棺も発掘されたようです。