アオスタ Aosta

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アオスタ (Aosta)は、ヴァッレ・ダオスタ特別自治州の州都。

 

トリノ (Torino)から鉄道で約2時間、ミラノ (Milano)からは4時間ほどかかります。

 

イタリア政府観光局公式サイト

 アオスタ

街の説明

列車でアオスタに向かうには、トリノからでもミラノからでもイヴレア(Ivrea)で乗り換えることになります。イヴレアからは風光明美な渓谷に沿って1時間ほどです。アオスタから先、昔は列車も通っ

ていましたが、現在はバスになっています。トンネルでフランスと繋がっています。モンテビアンコ(フランス名はモンブラン)をはじめ、アルプスの山々を訪れる観光客で、夏冬を問わずにぎわっています。

ローマ帝国の最西北の前戦陣営として建設された街です。北からアルプスを越えてローマ帝国に入る交通の要所でした。古来、イングランドやネーデルランド地方からはこの街を通ってローマ巡礼に向かったものです。

中世以来、フランスのブルゴーニュ公国とイタリアのサヴォイア公国の強い影響を受けてきた関係で、街ではイタリアとフランスの両言語が通じます。フランスのようなイタリアと言った印象です。

ローマ帝国の街は、南北に580メーター、東西に750メーターの長方形で街壁の中は東西南北に各三本の道で区画されていました。現在でも街は整然と区画整理されており、歴史を留める、清楚な印象の街です。

街壁内の東西の中央通りの東端にプレトリア門が残されていますが、プレトリア門から街壁を出て、東に400メーターほど進むと、紀元前25年に建設されたアウグスト門が、今でも完全な形で保存されています。記念門の中央に一本の通路が通り、左右にはコリント式の半円柱が基台の上に立っています。素材は大理石ではなく、壁体と同じ円筒形の重ね積みで、寄棟造りの石で葺いた屋蓋が載っているのが特徴です。

さらに東に進み、川を渡った先には小さな半円形の石橋が残っています。現在では下に川は流れていませんが、このような形で橋が残るのは極めてまれなことです。

街壁内の中央通りの北の広い敷地内に、幅80メーター、高さ20メーターを超える巨大な入口を持つ劇場跡が見えますし、その北には荒廃が著しいですが、闘技場の遺跡が在ります。

 

また、プレトリア門の他にも合計12か所に門が設置されていました。駅前の(Torre di Pailleron)塔のほか、北東のバリヴィの塔(Torre dei Balivi)、西南のブラマファムの塔(Torre di Bramafam)など、現在でもその多くを見ることができます。

Duomo  (Santa Maria Assunta)  大聖堂 

10世紀から11世紀にかけて、初期キリスト教徒の集会所の跡地に建設されました。聖堂正面はネオクラッシック様式で、大きな入り口の両脇の壁龕に聖職者の立像が立ち、切妻式の屋根の上にキリストと聖職者が立つ簡素な造りですが、あたかも聖堂の正面を全面的に覆って、保護するかのような造りとなっています。

この入口の一段奥に彩色されたコリント式の柱頭が見え、正面入り口と両脇にも入口が見えてきます。左入口上には受胎告知が、中央入口上のティンパヌムには降誕が、右手の入口上には神殿奉献のフレスコ画が描かれています。中央入口のティンパヌムの上には等身大ほどの大きさで、極彩色のテラコッタ製の聖母被昇天を見上げる使徒たちが飾られています。使徒の見上げる先には切妻屋根の下に両脇を天使に抱えられ昇天していく聖母が見えます。両脇には音楽を奏でる天使が極彩色で描かれ、劇場のような造りになっています。

聖堂内では聖母被昇天図や彩色された像を見ることはありますが、聖堂の正面外側にこのような極彩色のテラコッタ像が置かれているのは例が少ないと思います。

聖堂内は一変して、壁一面が白一色の、近代的な聖堂です。三廊式で、中央祭壇上からキリストの磔刑像が下がっています。内陣には15世紀製の木製の聖歌隊席が在り、ゴティック様式の聖人像の浮彫で飾られています。内陣の奥は、周歩廊の造りになっていますが、聖職者以外は入れません。右側廊の聖グラート(San Grato)の礼拝所にはシュライン型の金製の聖人の聖遺物容器が置かれています。

 

左側廊から入る地下聖堂の柱頭飾りはアーカンサスや、イオニア式などが見られます。

Sant’Orso  聖オルソ聖堂

プレトリア門から東、アウグスト門に向かって左側に在ります。つまり、ローマ帝政時代の街壁の外に在った古い聖堂で、街を代表する聖堂です。なお、現在でも修道院としての機能を果たしています。

聖堂の起源は古く5世紀にまでさかのぼり、初期キリスト教徒の集会所を起源としています。聖オルソはスコットランドかアイルランド人だったとされています。

現在の聖堂は994年から1025年の建立とされています。聖堂前の広場には聖堂の丁度正面にあたる位置に独立して石造の大きな鐘楼が建ち、見通しを悪くしています。

聖堂の正面は後世の改築で、入口上の丸窓の代わりに、イタリア北西部にある聖堂でよく見られるアルプスを表彰するような尖った二等辺三角形の飾りとなっています。

聖堂内は三廊式で、天上は穹窿式ですが、身廊の正面の内陣が一段と高くなっており、その個所に横アーチが在り、上にキリストの磔刑が立っており、古い様式の聖堂であることをよく示しています。中央祭壇脇には12世紀製の聖歌隊席が並び、動物や聖人、預言者などの浮彫が見えます。正面アプシスにはオルガンが置かれ祭壇画は聖オルソです。1359年作の聖オルソの銀製の聖遺物容器が在ります。内陣の下には20世紀の末に発見された12世紀のモザイク画が一部見えるようになっています。15世紀に大改造されていますが、側面には11世紀のフレスコ画の一部が残っています。オットー朝の影響を受けた作品とみなされています。

地下聖堂には聖オルソの石像の他に、ピエタ像が置かれています。

 

なお、修道院の回廊へは、いったん外に出て、正面の右手から入ることになります。回廊には52本の柱が並んでいますが、ほとんどの柱は建設当時のまま保存されています。柱は円柱であったり角柱だったり、形状が異なるばかりでなく、二本が一か所に並ぶなど、異なった形態を示しています。柱の高さが低いので、制作当時のまま残るロマネスク様式の貴重な柱頭飾りを目近かに見ることができます。キリスト降誕、降誕を見守るロバと牛、三人のマギにキリスト降誕を伝える天使、羊や山羊、空想上の動物など見ていて飽きません。

Santa Croce (Sainte-Croix)   聖十字架聖堂

街を東西に走る中央通りの西の端に在る小さな聖堂です。街壁を出たところにはローマ帝国時代からの水飲み場が在り、現在も飲み水として使用されています。

聖堂の入口は一つで、脇にはコリント式の柱が騙し絵のように描かれています。入口上には聖エレナのエルサレムでの聖十字架伝説が描かれています。

 

聖堂内は単廊式で、両脇に絵が掲げられており、祭壇にはキリストの磔刑の彫像が飾られています。入口の上には階上があり、女性用の礼拝席が在った所と思われます。

Sant’Anselmo  聖アンセルモ聖堂

街の東西に走る中央通りをプレトリア門から出て東に向かい、聖オルソ聖堂に行くまでの右側に在ります。ただし、記念してのプレートが有るだけで、聖堂としての役割は果たしていません。