フィレンツェ Firenze

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シニョーリア (Signoria) 広場
シニョーリア (Signoria) 広場

ローマから鉄道を利用して、特急では3時間ほどで到着します。ヨーロッパの各地から航空機で直接入ることもできます。

 

  大聖堂や洗礼堂、サンタマリア・ノヴェッラ聖堂、サンロレンツオ聖堂のメディチ家の礼拝堂、サンタクローチェ聖堂など有名な聖堂の他に多くの聖堂がありますが、聖堂により開いている時間帯が異なりますので、訪問する前に確認することをお勧めします。

 

 また、フィレンツエを代表する、ウッフィツ美術館 (Galleria degli Uffizi)、パラティーナ美術館(Galleria Palatina)、サンマルコ美術館(Museo di San Marco)、アカデミア美術館(Galleria dell'Accademia)などの美術館は、昨今非常に多くの観光客が訪れるようになりましたので、季節によっては、入れない場合があるので注意が必要です。インフォーメイションセンターも常に満員の盛況となっています。

 

 

1. Duomo ドゥオーモ (Cattedrale di Santa Maria del Fiore) サンタマリア・デルフィオーレ大聖堂

 

 フィレンツェを代表する大聖堂です。ローマのサンピエトロ大聖堂、ミラノの大聖堂と共に、イタリアを代表する大聖堂と言ってよいでしょう。

 

  1296年アルノルフォ・ディカンビオ (Arnolfo di Cambio) により建設が始められ、ジョットの監督の下で続けられました。

 

 1420年代に近隣のピストイア、ピサ、アレッツオ、シエナ等の都市と地域を征服したフィレンツェは、ジョットの鐘楼と洗礼堂と大聖堂が占める広大な広場を、都市計画の下で展開し、町のシンボルとして建設しました。

 

 ジョットは1334年から1437年の死去まで指揮を取っていました。なお、鐘楼が完成したのは1359年です。

 

 遠くからその存在を誇示する大きさの聖堂に、ブルネレスキは巨大なドームを載せています。後陣と左右廊が八角形をしており、直径43mの大きなドームも八角形で構成されています。

 

 ジョットが設計した脇の鐘楼 (Campanile)は、構造・色彩・浮彫、全ての面で完成していると言われています。

 

 高さは85mあり、ドゥオーモ同様に頂上まで登ることができます。400段以上の階段を登り切った後の頂上からの見晴らしはまた格別です。

 

 フィレンツェ市内とトスカーナ地方のなだらかな丘陵が見えるだけでなく、巨大なドームを間近に見ることができます。

 

 

 聖堂の外壁は白と緑の大理石の幾何学模様により壮麗さを強調し、塔と洗礼堂共々調和を保っています。

 

 聖堂内は三廊式で、中央祭壇を交叉廊の中央に置くラテン十字型で設計されています。八角形の内陣には花のように5個の礼拝堂が放射状に並んでいます。

 

 

 中央祭壇にはキリストの磔刑像が飾られ、左右にはオルガンが置かれています。

 

 キリストの左手下に聖母が右手下には洗礼者ヨハネとその下にはアダムとエヴァが描かれています。

 

 1572/79年作、八面体のドームの天井絵はジョルジョ・バッサーリ (Giorgio Vasari) とフェレディコ・ズッカーリ (Federico Zuccari) 作「最後の審判」で、おびただしい数の聖人、聖職者、天使が描かれています。

2. Battistero di San Giovanni 聖ジョバンニ洗礼堂

  ドゥオーモの西隣にある八角形の洗礼堂は、ドゥオーモ・鐘楼と同じく、白と黒の大理石で装飾され一体感を保っています。11世紀に建設が始められ、大聖堂ができるまでは司教座が置かれていました。

  東と北のブロンズ製の扉は、ギベルティ(Ghilberti) 作で、南のブロンズ製の扉はアンドレア・ピサーノ (Andrea Pisano) 作です。東の扉は「天国の扉」と呼ばれています。左側一番上は「原罪」、その下に「ノアの箱舟」、4番目に「モーゼの十戒」、右一番下は「ソロモンとシバの女王」の浮彫です。なお、ここで見られるのはレプリカで、原扉はドゥオーモ博物館に収納されています。

 洗礼堂内の天井部分は「最後の審判」「創世記」等のモザイク画で埋め尽くされています。

3. Chiesa di Ognissanti オーニッサンティ聖堂

 

 鉄道のフィレンツェ駅前からサンタマリア・ノヴェッラ聖堂を過ぎ、アルノ川に向かって進み、カッライア橋 (Ponte alla Carraia) の手前のゴルドーニ広場 (Piazza Doldoni) で右折するとオーニッサンティ聖堂の前に出ます。

 

 聖堂前にはアルノ川までの広場があり、見晴らしの良い環境です。

 

 

 13世紀に建設されましたが、17世紀以降大幅に改修され、フィレンツェで最初のバロック様式の聖堂になったとされています。扉口の上のティンパヌムには色彩テラコッタで作成された「聖母戴冠」がはめ込まれています。右手の鐘楼は13世紀に建設された時のままです。

 

 

 聖堂内は単廊式で、中央祭壇にはキリストの磔刑像が飾られていますが、アプシスには新約聖書から、「聖堂を清めるキリスト」が描かれています。

 

 

 両脇には5ヵ所ずつ礼拝堂がありますが、その一つのヴェスプッチ (Vespucci) 家の礼拝堂には後にアメリカ新大陸発見でその名を残したアメリゴ・ヴェスプッチが描かれています。ギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio) 作「聖ヒエロニムス」も同家の依頼に基づくものです。

 

 

 なお、左手奥にある食堂には現在では聖堂内からは直接入ることができず、一旦聖堂を出て、聖堂脇の修道院の回廊を通って行くことになります。

 

 回廊の側壁はフレスコ画で覆われており見事です。この食堂には後のレオナルド・ダヴィンチに影響を与えたとされる、ギルランダイオ作の大きなフレスコ画の「最後の晩餐」が飾られています。

 

 

 中央のキリストの胸に頭を寄り添わせる聖ヨハネとテーブルの前に一人座るユダの姿は印象的です。聖使徒のひとりひとりの表情や衣服が詳細に描かれているだけに、どうしてもそちらに目が行きがちですが、テーブルクロスや背景に描かれたレモンの木、飛ぶ海鳥にも注目したいものです。

 

4. Chiesa di Orsanmichele オルサンミケーレ聖堂

 

 大聖堂 (Duomo) からシニョーリア広場に向かってカリツアイウォーリ通り (via del Calzaiuoli) を進むと右手に見えてきます。

 

 聖堂の外側の壁に壁龕を設け、多くの聖人像が納められている特殊な聖堂です。この建物は1336年に市場と穀物倉庫用として建設されました。その後、1339年には各同業者組合 (ギルド) の守護神が決まり、順次建物の周囲に聖人像が飾られていきました。

 

 1380年に1階が聖堂として改装されています。一般の建物を後になって聖堂に変更したために、外観も建物の内部も他の聖堂の構造とは異なっています。

 

 周囲の聖人像の作者は、聖ジョルジョ、聖ピエトロ、聖マルコ、の3聖人がドナテルロ (Donatello) 作。聖ルカがジョヴァンニ・ダボローニャ (Giovanni da Bologna) 作。聖マタイ、聖ステファノ、の2聖人はギルベルティ (Ghilberti) 作です。

 

 なお、現在外壁に収められている聖人像はレプリカで、聖人像の原像は二階の展示室に納められています。

 

 また聖人像とは別に、ギルドの表象を表す色彩テラコッタも飾られています。

 

オルサンミケーレ(Orsanmichele)聖堂の聖人とギルド

 

 イタリアのギルド (同業者組合) は、1154年にピアチェンツァ (Piacenza) で最初のギルドができ、5年後にはミラノでも成立しています。フィレンツェでの最初の例としては、1182年に「外国との貿易を行う組織」に関しての記録が残されています。

 

 1212年に「毛織物」と「行政官と書記」のギルドができ、「銀行と両替商」「絹織物」「毛皮」「医者と薬」と続いて7業種のギルドが成立します。1282年にはこの7大ギルド (Arti Maggiori) から6人の代表が選ばれ、2ヶ月間交代でフィレンツェを統治していくことになります。

 

 その後、「食肉」「靴」「鍛冶」「石工と木工」「繊維物の小売」の5業種のギルド (Arti Medie) が加わり、更に1293年に条例により、同業者組合の組織化が認められ、「酒」「宿屋」「なめし」「油と食品」「鞍」「錠前」「武具」「大工」「パン」の9業種のギルド (Arti Minori) が続きました。

 

 ギルドは暫時増加していきましたが、最初の7大ギルドによる支配は変わりませんでした。ちなみにメディチ家は家紋を見てもお分かりのように「薬」です。 

 

 なお、側壁を取り囲む聖人を守護聖人と仰ぐギルドは、「外国との貿易を行う組織」は洗礼者聖ヨハネ、「毛織物」は聖ステファノ、「行政官と書記」は聖ルカ、「銀行と両替商」は聖マタイ、「絹織物」は福音書記者聖ヨハネ、「毛皮」は聖ヤコブ、「医者と薬」は聖母子です。なお、聖ペテロは「食肉」の守護神です。

 守護聖人の持ち物を観察すると、どのギルドの守護聖人なのかが推測できます。

 

 聖堂内は中央に柱があり、部屋が二列並んでいるような建物で、祭壇が二箇所にありますが、特に正面右手の礼拝堂は白大理石の見事な造りで、右手の礼拝堂に納められている聖母子画は各種の奇跡を起こし、巡礼者を多く集めたことで有名です。

 

 玉座の聖母子の両側には天使が伺候し足元には二体の天使が香炉を持っていますが、この構造はウィフィツ美術館蔵のジョット作の「玉座の聖母子と天使」1305年頃、ドッチオ作の「玉座の聖母子と天使」1285年、またシエナのドゥオーモ美術館蔵のドッチォ作の「荘厳の聖母子」1308/11年とほぼ同じです。なお、現在の聖母子画はベルナルド・ダッディ (Bernardo Daddi) 作の2代目です。

 左手にはサンガーリョ (Francesco da Sangallo) 1526年頃作、聖家族の彫刻が置かれています。周囲のステンドグラスからは柔らかな光が差し込み、柱や天井はフレスコ画で飾られている美しい聖堂です。

 

 

 聖堂の外側を一周して聖人像を見たのちに、聖堂内の聖母子画を見ると聖堂の持つ特異な歴史を感じることができます。

 

5. Chiesa di San Carlo dei Lombardi 聖カルロ聖堂

 

 大聖堂 (Duomo) からシニョーリア広場に向かってカリツアイウォーリ通り (via del Calzaiuoli) を進むと右手にオルサンミケーレ聖堂がありますが、その対面にある小さな聖堂です。

 

 

 聖堂内は単廊式で、奥行きも無く、壁には一枚の絵が飾られているだけです。

 

 

 正面の祭壇は3ヵ所に分かれていますが、中央祭壇奥のアプシスには哀悼画が掲げられています。

 

 中央祭壇の天井、左右祭壇の天井と側面にはフレスコ画が残っています。

 

6. Chiesa di San Filippo Neri 聖フィリッポ・ネリ聖堂

 

 シニョーリア広場 (Piazza Signoria) からヴェッキオ宮 (Palazzo Vecchiop) に沿って東に進み、サンフィレンツエ広場 (Piazza San Firenze) に出ると、見えて来ます。

 

 

 聖堂正面の扉口の上には天使や聖人像が飾られているバロック様式の聖堂です。

 

 

 聖堂内は単廊式で、アプシスには聖母戴冠が、天蓋にはキリストと聖母の下に多くの聖職者が描かれ、ドームには聖母被昇天が描かれています。

 

 

 扉口を入って上にはオルガンが設置されています。

 

 

 聖人の聖遺物容器が奉納物と共に安置されています。

 

7. Badia Fiorentina バディア・フィオレンティナ聖堂

 

 シニョーリア広場 (Piazza Signoria) からヴェッキオ宮 (Palazzo Vecchiop) に沿って東に進み、サンフィレンツェ広場 (Piazza San Firenze) に出ると、左折して聖フィリッポ・ネリ聖堂の前を通り過ぎると見えて来ます。

 

 

 バルジェッロ国立博物館 (Museo Nazionale del Bargello) の対面にあります。14世紀初めに建設された高い鐘楼が目印です。

 

 

 扉口の上のティンパヌムには色彩テラコッタの聖母子像があります。10世紀の建設ですが、13世紀に再建されています。ロマネスク様式の聖堂です。聖堂内は17世紀にバロック様式で改装されています。

 

8. Basilica di San Lorenzo 聖ロレンツォ聖堂

 

 駅前からイタリア広場 (Piazza della Unita Italiana) を通って、メラランチオ通り (via Melarancio) を進むとアルドブランディーニ広場 (Piazza Madona degli Aldobrandini) に出ます。

 

 聖ロレンツオ聖堂の裏手にあるメディチ家の礼拝堂はここに扉口があります。聖堂の扉口は時計回りに右折して側面を進み、更に右折して正面広場に出た階段の上にあります。

 

 

 4世紀に建設された古い聖堂ですが、13世紀にロマネスク様式で再建された、フィレンツェでも初期ルネサンスに属する聖堂です。ブルネレスキ (Brunelleschi) が設計しましたがブルネレスキの死去により、正面は未完成のままです。

 

 聖堂の建設にあたり資金援助を行った一人にメディチ家のジョヴァンニ・ディ・ビッチ (Giovanni di Bicci) とその息子のコジモ・イル・ヴェッキオ (Cosimo il Vecchio) がいました。

 聖堂内はコリント式の細身の円柱が二列並び、両脇に礼拝堂が並ぶ五廊式の大きな聖堂です。建築家であり、彫刻家であったブルネレスキは、1415年頃に二次元の絵画に距離を描く手段として一点透視の遠近法を新しく開発したとされます。

 

 実際に身廊の扉口に立ち、中央主祭壇を望むと一点透視の遠近法で描かれた絵画のように見えます。天井は格間がはめ込まれた幾何学模様の平天井ですが、主祭壇に向かって歩むと、一点透視の遠近法を肌で感じることができます。

 

 中央の主祭壇は色大理石の緻密なはめ込み画で旧約聖書の場面が描かれています。

 

 上にはキリストの磔刑像が飾られ、アプシスにはオルガンが置かれています。ドナテッロ (Donatello) 1460年代作、ブロンズ製の説教壇は身廊の主祭壇寄りに左右に二つあります。

 

 

 右側の二番目の礼拝堂にはロッソ・フィオレンティーノ (Rosso Fiorentino) 1523年作、「聖母の結婚」(Sposalizio di Maria) が収められています。左側の説教壇の裏手にはイル・ブロンジーノ (Il Bronzino) 作「聖ロレンツオの殉教」があり、マルテッリ (Martelli) 礼拝堂には、フィリッピーノ・リッピ (Filippino Lippi) 作「受胎告知」が見られます。

 

 

 左側の奥の旧聖具室 (Sagrestia Vecchia) はブルネレスキが設計しており、ドナテッロが装飾したものですが、収納されているキリストの磔刑像を遠方から眺めると、あたかも額縁に入った絵のように見えます。

 

 マザッチョはこの聖具室から着想を得て一点透視の遠近法により、サンタマリア・ノヴェッラ聖堂に納められている「聖三位一体と聖母と聖ヨハネと寄進者達」を描いたと言われています。

 

 

 新聖具室 (Sagrestia Nuova=メディチ家の礼拝堂) はミケランジェロの設計で、祭壇に向かって左側に曙(女)、夕暮(男)に囲まれたロレンツォの像、右側には昼(男)、夜(女)の間にジュリアーノの像があり、祭壇の対面には両者の墓が納められています。

 

 

 地下のクリプトには聖遺物容器が多数納められていますが、中には聖使徒のひとり、聖ピエトロの聖遺物も納められています。コジモ・イル・ヴェッキオの墓とドナテッロの墓もあります。

 

 

 回廊は1475年のマネッティ作で、リズミカルな回廊の上には丸窓の二層目が載り、アーチ型の窓の列が並ぶ最上階が一段と退いている工法はサンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂の脇にある、ブルネレスキ作の捨て子養育院を思わせます。

 

9. Basilica di San Marco 聖マルコ聖堂

 

 大聖堂 (Duomo) の正面左手の道からカヴール通り (via Cavour) を進むとサンマルコ広場に出ます。バスの停留所もあり何時でも混雑している広場です。右手に進むとサンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂はすぐ近くです。

 

 

 13世紀末に建設され、15世紀にはドメニコ派の修道院になっています。聖堂正面はバロック様式で、扉口の両脇の壁龕には聖マルコの立像が納められています。

 

 

 聖堂内はラテン十字型の単廊式で、中央祭壇奥にはオルガンが置かれています。

 

 

 

 扉口を入り、扉口の右側にはサンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂の「受胎告知」を模倣したフレスコ画があります。

 

 大天使ガブリエルは直接聖母にメッセージを伝え、聖母は聖霊の飛び来る天を仰ぎ見ずに、床に描かれた白百合の方を見ています。

 

 裏手にある修道院は、サンマルコ美術館 (Museo di San Marco) になっています。財政的支援者のコジモ (Cosimo il Vecchio) の瞑想室や宗教改革者サヴォナローラ (Savonarola) の個室の他、2階の階段を昇った先にある、フラ・アンジェリコ (Fra Angelico) 作「受胎告知」は必見です。

 

10. Basilica di Santa Croce サンタクローチェ聖堂

 

 ドゥオーモからシニョーリア広場に向かい、広場からヴェッキオ宮 (Palazzo Vecchio) 脇のグレチ通り (Borgo de Greci) を東に向かうとサンタクローチェ広場 (Piazza Santa Croce) に出ます。聖堂正面が広場から良く見えます。

 

 白大理石に黒の大理石で直線模様を入れることで、中央と両脇の破風が引き締まった大きな聖堂です。扉口は三ヵ所あり、中央には大きな丸窓があります。ラテン十字型の聖堂です。

 

L'altare maggiore (中央祭壇) (Wikimedia Commonsより)
L'altare maggiore (中央祭壇) (Wikimedia Commonsより)

 

 聖堂内は三廊式で左右には礼拝堂が並んでいます。中央祭壇にはジョヴァンニ・デル・ビアンド (Giovanni del Biando) 作の多面祭壇画で、中央には聖母子が描かれています。

 

 その上には天井からキリストの磔刑の板絵が下がっています。アプシスのステンドグラスの周辺はフレスコ画で埋め尽くされています。

 

 

 中央祭壇の右手のバルディ (Bardi) 礼拝堂の祭壇にはベルリンギエリ Barone Berlinghieri) 作「聖フランシスコの生涯」の板絵が飾られ、周囲にはジョット (Giotto) 作「聖フランシスコの出現」、「聖フランシスコの死」が、その隣のペルッツィ (Peruzzi) 礼拝堂にもジョット作「洗礼者ヨハネの誕生」、「福音書記者ヨハネの昇天」と、ジョットのフレスコ画の傑作が並んでいます。

 なお、ジョット作の「聖フランシスコの出現」 (Apparition of St. Francis in the Chapter at Arles) はアッシジ (Assisi) の聖フランチェスコ聖堂の上聖堂に入って左側三番目の同名の絵画と同じ構図です。ただし、アッシジの聖堂の場合には、聖フランシスコの出現に気が付いている修道士は二名のみなのに対し、サンタクローチェ聖堂の絵ではより多くの修道士がその出現に気が付いているように見られます。

 色彩も少なく洗練されています。同じくアッシジの左側五番目の「聖フランシスコの死」は聖フランシスコの臨終の場面を描いていますが、周囲で悲しむ修道士の上に多くの人物や天使が描かれており、賑々しさが伝わって来るのに対し、サンタクローチェ聖堂の絵は静寂に包まれており、厳粛さを感じさせます。

 

 右翼廊の付きあたりのバロンチェッリ (Baroncelli) 礼拝堂の多面祭壇画の中央の「聖母戴冠」もジョットの作品です。

 更に奥にある聖具室にはタッディオ・ガッディ (Taddio Gaddi) 作「キリストの磔刑」、ニッコロ ガエリーニ (Noccolo Gaerini) 作「カルヴァリオへの道」の大きなフレスコ画が飾られています。一方、左翼廊の突き当りのバルディ・ディ・ヴェルニオ (Bardi di Varnio) 礼拝堂にはマッゾ・ディバンコ作「聖シルベスターの賢者の蘇生」、ドナテッリョ作キリストの磔刑像があります。

 

ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)の墓
ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)の墓

 

 扉口から右側廊の一番目にはヴァザーリ (Vasari) が設計したミケランジェロ (Michelangelo Buonarroti) の墓があります。その反対側の左側廊の一番目にはガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)の墓があります。

 

ダンテ (Dante Alighieri) の墓
ダンテ (Dante Alighieri) の墓

 

 右側廊にはダンテ (Dante Alighieri) 、マキャヴェリ (Niccolo Machiavelli)、ヴィットリオ・アルフィエリ (Vittorio Alfieri) の墓が並んでいます。

 

マキャヴェリ (Niccolo Machiavelli) の墓
マキャヴェリ (Niccolo Machiavelli) の墓

マキャヴェリ (Niccolo Machiavelli) の墓

L'Annunciazione di Donatello (ドナテッリョ「受胎告知」)
L'Annunciazione di Donatello (ドナテッリョ「受胎告知」)

 

 日本では余りなじみはありませんが、レオナルド・ブルーニ (Leonardo Bruni) 、ガストーネ・デラトッレ (Gastone della Torre)、カルロ・マルスッピーニ (Carlo Marsuppini) などの墓碑は、全て見事な大理石彫刻が施されています。

 

 またドナテッリョ作「受胎告知」の浮彫は金で彩色が施されており、思わず見とれてしまうほどの現実感のある彫刻です。

 

 

 

 

 右側の三番目の柱にある説教壇はベネデット (Benedetto da Maiano) 作で、聖フランシスコが聖痕を受ける場面や聖フランシスコの死の場面が浮彫で飾られた豪華なものです。

 

Il Crocifisso di Cimabue (チマブーエ「キリストの磔刑」)
Il Crocifisso di Cimabue (チマブーエ「キリストの磔刑」)

 

 なお、隣接する美術館の入口にはチマブーエ (Cimabue) 作「キリストの磔刑」の板絵が飾られており、正面にタッディオ・ガッディ作の壁一面に描かれた「キリストの磔刑と命の木」のフレスコ画があります。キリストの磔刑の下には聖フランシスコが跪まずいています。

 

 同作者の「最後の晩餐」の他、ヴェネティアーノ (Domenico Veniziano) 作「洗礼者ヨハネと聖フランシスコ」、マッゾ・ディバンコ (Maso di Banco) 作「聖母戴冠」等多くの作品を見ることができます。

 1348年に欧州を襲った黒死病は多大な犠牲者を出し、多くの画家も落命する中、生き残ったフィレンツエ派の指導者アンドレア・オルカーニャ (Andrea Orcagna) 1350年作のフレスコ画「死の勝利」は、動きの止まった表情に、勝ち誇る死の恐怖に直面した人物の心象心理を見事に描き切っています。

 ヴァザーリによれば、ピサ (Pisa) のカンポサント (Campo Sant) の壁面を飾る大きなフレスコ画、「死の勝利」を描いたとのもアンドレア・オルカーニャだとしています。

 

 

 

 

 ステンドグラス、フレスコ画、絵画、彫刻、色彩テラコッタ、など多くの秀作が収容されており、聖堂と言うよりは美術館と言う方がふさわしいと思われます。

 

 1430年頃ブルネレスキにより建設された隣接のパッツイ (Pazzi) 礼拝堂は参事会堂として建設されました。正面はアーチ型開口部の左右に華奢で繊細な三本のコリント式円柱が正方形のパネルとその上部の開口したテラスを支えており、扉口までの空間は優美で簡素な装飾がなされています。