ウーディネ Udine

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 ウーディネ (Udine)は、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州中部にある都市で、ウーディネ県の県都。州都トリエステに次ぐ第2の都市。

 

 

「JAPAN-ITALY Travel On-line」「市長が語るわが町観光自慢」「ウーディネ市長 セルジョ・チェコッティ氏」

 

 

 こちら↓のブログは写真がきれいですね。

「イタリアの誘惑」「ウーディネ (Udine・北イタリア)」

ディネ Udine

 

街の説明

イタリア東北の端に在る街で、東隣のスロベニア共和国まで20キロメーターほどの所にあります。

ヴェネチアから鉄道で約2時間。トリエステからは1時間ほどの距離にあります。

この地方の歴史は古く、新石器時代から人が住んでいたとされ、後には現在のクロアチア地方に古代ギリシャ・ローマ時代に存在したとされるイリュリア(Illyria)国からの人が多く移り住んでいたとされています。

紀元前に北方からの民族の侵略を阻止するため、ローマは軍事基地として、アクィレイアを建設しました。その後植民が進み、繁栄を誇りましたが、4世紀以降は数度にわたり北方蛮族の侵略を受けています。アクィレイアの総主教(Patriarch di Aquileia)もアクィレイアからグラード(Grado)に避難しています。その後宗教上の抗争を経て、アクィレイア総主教座はロンゴバルド王国のフリウリ公の保護を受けて、グラードからチヴィダーレ・デル・フリウリ(Cividale del Friuli)に移っています。

神聖ローマ帝国のオットー2世はアクィレイ総主教に、ウーディネの土地を献上しています。

これが983年でウーディネが歴史に初めて登場するときです。

ウーディネという地名にはイタリア語的な響きがないために、スロベニア語系説や、アッティラ(Attila)がアクィレイア(Aquileia)攻略の際にこの地に丘を作らせたことから丘を意味するハンガリー語を語源とする説等、諸説あります。

その後、総主教座がチヴィダーレ・デル・フリウリからウーディネに移されたことで宗教の中心地となり、13世紀には市の開設が許可され、経済的な発展も始まりました。

1420年にヴェネチアに征服されてしまいます。

鉄道の駅は街の南端に在り、街は北に向かって広がっています。方形に囲まれた城壁都市で、街の中心に在る小高い丘の上に城がありますが、全体として平らな街です。現在の城はロンゴバルド時代の砦が1511年の地震で崩壊した後、ヴェネチアによって建設されたもので、すでに城塞の形態を取っていませんでした。現在では市立博物館になっています。

城壁内の旧市街は、城の下に在るリベルタ広場(Piazza Liberta)と、その西側に在るマッテオッティ広場(Piazza Matteotti)が中心です。

リベルタ広場の東端にはカッラーラ(Giovanni Carrara)が設計した噴水があり、脇にはヴェネチアの聖マルコの表象である、有羽のライオンが円柱の上に載っています。

中央北側には南面して同じくヴェネチアを示す有羽のライオンの浮彫彫刻が付いた時計塔(Torre del ‘Orologio)が聳え、均整の取れた幅広い柱廊が並ぶ宮殿 (Loggia di San Giovanni)があります。

広場の西端には正義の女神像が東を向いて座し、広場の前面に、ヘラクレスとカーカス(Ercole e Caco)と平和の像が並んでいますが、これらは19世紀初めにナポレオンが没落した後に神聖ローマ帝国皇帝から贈られたものです。なお、広場の南側に対峙している市民ホール(Loggia dil Lionello)はヴェネチアのサンマルコ広場の宮殿を模して15世紀半ばに建設されています。

広場の周辺に観光名所や主要な聖堂は存在しています。訪問する範囲は狭いのですが、通りが曲がっており、通りの名前も短い距離で変わるので、街中を巡るのは案外分かりにくいかと思います。

アクィレイア総主教の館の一部は美術館(Museo Diocesano)として一般公開されており、ティエポロ(Giovanni Battista Tiepolo)の傑作を身近に見ることができます。

この街の一大特徴はティエポロの絵が集中していることです。

なお、街から近くに、アクィレイア、グラード、チヴィダーレ・デル・フリウリなどの歴史上重要な街が在りますので、それぞれに出かける基地として滞在することをお勧めします。

 

  注:アクィレイア、グラード、チヴィダーレ・デル・フリウリの各項をご参照ください。 

 

 

Duomo 大聖堂(Santa Maria Annunziata(サンタマリア・アヌンツィアータ)

聖堂前には広い広場が在り、聖堂全体を見渡すことができます。

1236年にアクィレイア総主教の指導のもとにラテン十字形で建設されています。1348年の地震で崩壊した後再建されています。

正面には三箇所に扉口が有り、中央扉口上のティンパヌムには中央にキリストの磔刑が、その上に生誕、左に復活、右に天の子羊の浮彫があり、その上の差掛け屋根の上に丸窓があります。

左右の扉口の上にはアーチ型窓とその上に丸窓が在り、二つの丸窓の間を繊細な二連式円柱と尖塔型アーチが並ぶ装飾がなされています。丸窓は地震後の再建の際に一回り小さくされています。左右の均整の取れた大きな聖堂です。

聖堂内は三廊式ですが、左右の側廊の外側に扉口から四箇所礼拝堂が並んでいますので、実質五廊式になっており、正面から見ても横幅が広いことに気が付きます。外見はロマネスク・ゴティック様式に見えますが、聖堂の中はバロック様式です。身廊と側廊の間には巨大な六本の柱が天井を支えています。

中央主祭壇には受胎告知を表す像が置かれ、アプシスの天井は華やかなフレスコ画で飾られています。中央主祭壇の右側は聖母の祭壇で、左側はキリストの祭壇です。両脇にはオルガンが設置されています。

右側廊の最初は聖三位礼拝堂(Cappella della Santissima Trinita)で、次いで聖エルマコラとフォルテュナト礼拝堂(Cappella dei Santi Ermacora e Fortunato)です。ここにティエポロの作品が収められています。三番目は聖エウスタキオと洗礼者聖ヨハネ礼拝堂(Cappella dei Santi Eustachio e Giovanni Battista)で、フォンテバッソ(Francesco Fontebasso )作の聖エウスタキオと洗礼者聖ヨハネが収められています。四番目の秘跡礼拝堂(Cappella del Santissimo Sacrament)ではティエポロのキリストの復活の絵が見られます。

 

左側廊の最初は聖マルコ礼拝堂(Cappella di San Marco)でマルティーニ(Giovanni Martini )作の聖マルコと聖人達、二番目はジョゼッペ礼拝堂(Cappella di San Giuseppe )でペルグリーノ(Pellegrino da San Daniele)作の聖ジョゼッペと子、三番目の聖母の御旨礼拝堂(Cappella della Madonna della Divina Provvidenza)には聖母子のイコンが収められ、四番目の礼拝堂にはトレッティ(Giuseppe Torretti)作の彫像が有り、聖遺物が収容されています。その他にも多くの絵画が掛けられており、美術館のようです。

Battistero   洗礼堂

ドゥオーモに接している八角形の背の高い大きな洗礼堂で、現在ドゥオーモ博物館になっています。

洗礼堂の上に鐘を載せていますので、遠くから見ると巨大な八角形の鐘楼に見えます。

ドゥオーモ博物館には、ドゥオーモをいったん出て、外から入ります。扉口の上にはユーモラスな動物や人物の並ぶ聖母戴冠の彫刻が有ります。

 

洗礼堂の中にはフレスコ画が残っていますが、剥離が進んでいます。その他聖職者に関連する衣や聖具などが展示されています。

San Cristoforo   聖クリストフォロ聖堂

リベルタ広場からメルカトヴェッキオ通り(Mercatovecchio )を北に進み、サルピ通り(Via Paolo Sarpi)に突き当たって右折して、バルトリーニ通り(Via Bartolini)に出てから100メーターほど進み、カイゼリ通り(Via Caiselli)に左折するとすぐ左手に見えて来ます。

込み入った場所にあります。

小さな聖堂で、正面扉口の上にはキリストを肩に載せた聖クリストフォロの像が載っています。ティンパヌムにはフレスコ画がありますが、剥落していて内容は分りません。

 

聖堂内は単廊式で、対抗宗教改革の時代に建設された聖堂です。

San Francesco   聖フランチェスコ聖堂

ドゥオーモ広場の南端からカルツォライ通り(Via dei Carzolai)を南下するとジェロラモ・ヴェネリオ広場(Piazza Girolamo Venerio)に出ます。右側に鐘楼が聳える大きな聖堂が広場の先に見えています。広場に面しているのは後陣で、更にオドリコ通り(Via Odorico da Pordenone Beato)を聖堂の左側面に沿って南下すると聖堂の正面に出ます。

13世紀に建設されたロマネスク様式の聖堂です。聖堂の正面は扉口が一か所でその上に丸窓が在るだけの簡単な作りです。鐘楼は煉瓦積みですが、聖堂は積み石の色が異なり、武骨な印象で石の塊のような造りの聖堂です。

 

聖堂内は単廊式で、現在美術展や催事場などに利用されており、聖堂としての役割は果たしていません。

San Giacomo  聖ジャコモ聖堂

マッテオッティ広場は市場があった場所で、中央には噴水が在り、南の端に聖母子像の載る柱が在りますが、これらはラファエロの弟子のジョヴァンニ(Giovanni di Udine)が15世紀半ばに制作したものです。聖堂はこの広場の南端に位置しています。

正面は15世紀に改造されたルネサンス様式で、扉口の上には時計が載り、その上に鐘楼がありますが、この鐘楼は17世紀なってから聖堂の上に追加建設されたものです。聖堂は二階建てで横に長く、扉口は二箇所あります。右側の扉口の上の壁龕には聖母子像が収まり、屋上には聖人と天使の立像が載っています。

広場から見ると一つの聖堂で扉口が二つあるように見えますが、実際には二つの聖堂が隣接しています。

左側の扉口から入ると、聖堂内は単廊式で、中央主祭壇にはキリスト像の載る大きなキボリウムが置かれ両脇に聖人の立像が置かれています。アプシスの半円形ドームには殉教聖女が描かれています。ボールト天井にはキリストの変容、聖ジャコモと聖母子、等のフレスコ画が描かれ、両脇には祭壇が並んでいます。

右側壁を通り抜けると、二つ目の聖堂が現れます。聖ジャコモ聖堂は二つの聖堂が接続していることが判ります。

右側の聖堂は奥行きが短く、一回り小さな聖堂です。後に拡張されたものと思われます。

この聖堂も単廊式で主祭壇には聖母子画が収められています。天井には聖ジャコモが聖母子を見上げているフレスコ画が有り、側壁には多くの聖女が描かれています。

 

どちらの聖堂も色彩に富んだ華やかな聖堂です。

San Pietro Martine  殉教者聖ピエトロ聖堂

マッテオッティ広場から聖ジャコモ聖堂を正面に見て、右手に当る北側から細いサルピ通り(Via Paolo Sarpi)を進むと左手に見えてきます。聖堂の前からはエレスモ通り(Via Erasmo Valvason)が西に向かって伸びています。

扉口は一か所で、両脇の片蓋柱の脇に二層になって窓が在るだけの簡素な聖堂です。

聖堂は13世紀末にドメニコ派により、ロマネスク様式で建設されましたが、その後16世紀、18世紀に改修が進み、現在では当時の面影は残っていません。

聖堂内は単廊式で、中央主祭壇には18世紀に作成されたキリスト像の載るキボリウムが在り、両脇には聖トマソと殉教者聖ピエトロの立像があります。

中央主祭壇の右手の祭壇は聖スピナ(San Spina)祭壇でキリストの磔刑画が、左手の祭壇は聖リタ(San Rita)祭壇で、キリストの磔刑像に祈る聖リタの絵が掲げられています。

側壁には祭壇が並んでいます。聖ドメニコの祭壇の他、モンテヴェルデ(Luca Monteverde)作の「玉座の聖母子と聖人達」、バルサーニャ(Giacomo Barsagna)作の「聖母子と聖人達」、アマルティーノ(Pomponio Amaltio)作の「殉教者聖ピエトロの死」、コミノ(Giovanni Comino)作の「聖母子と聖人達」、などの作品が収納されている祭壇が並びます。

さらに立像としては、ロザリオの聖母像や、トレッティ(Giuseppe Torretti)作のパドヴァの聖アントニオ像があります。

天井にはドメニコ派の聖人・聖女たちが聖母子の下に被昇天していくさまが描かれています。

小さな聖堂ですが、多くの絵画で埋められています。

 

なお、側壁には建設当初のフレスコ画の断片と思われるものがはめ込まれています。

Santa Maria della Purita (Oratorio della Purita)サンタマリア・デラ・プーリタ聖堂

ドゥオーモの東側に位置し、正面はドゥオーモの南面に向いています。聖堂の右側面はフランチェスコ通り(Via San Francesco D’Assisi)に接していまが、聖フランチェスコ聖堂への道ではありません。

16世紀にパラッディオ(Andrea Palladio)により設計された聖堂です。

周囲の建物と比較しても小さな聖堂で、扉口は一か所のみで青銅の扉は閉ざされている場合が多く、開放される時間も不規則です。二階建ての目立たない存在ですから見過ごしそうです。

聖堂内は単廊式で、主祭壇には聖母画が掲げられ、天井は聖母被昇天と天使が描かれています。これらのフレスコ画は1759年にティエポロが描いたものです。側面にはその息子のドメニコ(Domenico)が1760年にグリザイユで描いた、「キリストのエルサレム入城」、「キリストと博士の論争」、「ダビデ王の勝利」、「アンティオキア王の前のマカベー一族」等、八枚の絵が掛けられています。 

側面に置かれた洗礼盤はドゥオーモの洗礼堂から移設されたものです。

 

ティエポロの絵画はこの聖堂とドゥオーモとアクィレイア総主教の館の美術館で見ることができます。

Santa Maria di Castello サンタマリア・ディ・カステッリョ聖堂

リベルタ広場の左側から、ヴェネチアを表す聖マルコの表象である有羽のライオンの彫刻が載るボラーニ門(Arco Bollani)を通って城に向かい、穏やかな坂道を登って行くと、道の右側はリッポマーノ(Porticato dell Rippomano)のポルティコが続いています。ウーディネの観光案内書には必ず出ている、写真になる場所です。

城に到着する手前右側に聖堂は在ります。

街で一番古い聖堂で、元は、城の付属礼拝堂でした。6世紀に建設されたロンゴバルド王国時代の聖堂を8世紀に改築しています。その後12世紀、13世紀に改築されてきています。1511年の地震で崩壊後も数次にわたり改築されてきました。

 

聖堂は二層になっており、中央の扉口の両脇の方形の片蓋柱が天井を支えています。ルネサンス様式の聖堂です。鐘楼もルネサンス時代の建設で、頂点に立つ大天使ミカエルは18世紀の制作です。伝承によると、天使が聖堂の屋根の上に冠を載せたと言われています。