ヴェネツィア Venezia
ヴェネツィア (Venezia)は、イタリア北東部ベネト州の州都。ヴェネツィア県の県都である。
中世には、ヴェネツィア共和国の首都として栄えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」「アドリア海の真珠」などの別名をもつ。
【アクセス】
イタリア本土からヴェネツィアには、19世紀半ばまでは船でしかたどり着けませんでした。公共交通機関としては1846年に開通した橋を利用して鉄道で入る場合と、1933年に開通した自動車用の橋を利用してバスで入る方法の二種類があります。
鉄道を利用する場合には、ミラノからヴェネツィアに入る方がローマから入るより時間的には短縮されます。なお、ヴェネツィア郊外のマルコポーロ空港からバスでヴェネツィアのローマ広場に入る方法もあります。どちらにしてもヴェネツィアの入口までしか入れませんので、市内の観光には水上バスやモーターボートを利用するか、歩くしかありません。
有名なゴンドラを利用する方法もありますが、経済的ではありません。
【歴 史】
ヴェネツィアは697年に町が建設されたとされています。その後、地中海貿易の中心地として強大な財力を背景に、広大な植民活動を繰り広げ、第四回十字軍では強力な海軍力を元にビザンティン帝国を衰退させるほどの簒奪行為をしています。
その結果がルネサンスの流れに繋がっていくことは周知のとおりです。なお、ローマ教皇にも対抗できる勢力であったことは注目に値します。
【街を歩く】
埋め立てを多用して建設されたヴェネツィアには、直線で見通しの良い道はなく、運河が張り巡らされていますので、簡単に対岸に渡ることもままなりません。地図を持っていても迷子になる恐れがあります。
街には多くの聖堂と宮殿があり、美術館もありますので、時間はすぐに尽きてしまいます。狭いように見えて結構広い街ですから、目的を設定したら、十分に確認してから歩くことが重要です。
街には大学があり多くの学生を見かけますが、年間2000万人が訪れる観光地です。街には観光客が溢れています。
【その他の情報】
イタリア政府観光局「ヴェネト州・ヴェネツィアVenezia」(https://visitaly.jp/region/veneto-venezia/)
ヴェネツィア観光局公式サイト「TurismoVenezia」(英語:http://en.turismovenezia.it/)
1. Basilica di San Marco 聖マルコ大聖堂 (Duomo)
2. San Bartolomeo di Rialto リアルトの聖バルトロメオ聖堂
3. San Benedetto 聖ベネデット聖堂 (San Beneto)
4. San Canciano 聖カンチアノ聖堂 (San Canziano)
7. San Giacomo dall'Orio 聖ジャコモ・ダル・オリオ聖堂 (San Giacomo dell'Orio)
8. San Giacomo di Rialto 聖ジャコモ・ディ・リアルト聖堂
9. San Giorgio dei Greci 聖ジョルジョ・デイ・グレーチ聖堂
10. San Giorgio Maggiore 聖ジョルジョ・マッジョーレ聖堂
11. Santi Giovanni e Paolo 聖ヨハネと聖パオロ聖堂 (San Zanipolo)
12. San Giovanni Evangelista 福音書記者聖ヨハネ聖堂
13. Scuola Grande di San Giovanni Evangelista 福音書記者聖ヨハネ同信会
14. San Giovanni Grisostomo 聖ジョヴァンニ・グリソストモ聖堂
15. San Giovanni in Bragora ブラゴーラの洗礼者聖ヨハネ聖堂
以下は「ヴェネツィア_2 Venezia_2」にページ移動します。
16. San Giovanni Novo 聖ジョヴァンニ・ノヴォ聖堂 (San Zaninovo)
19. San Michele in Isola 聖ミケーレ聖堂
21. San Pantaleon 聖パンタレオン聖堂 (San Pantalon)
22. San Paolo Apostolo 聖使徒パオロ聖堂 (San Polo)
24. Scuola Grande di San Rocco 聖ロッコ同信会
27. San Simeone Profeta 預言者聖シメオン聖堂
28. San Simeone Piccolo 聖シメオン小聖堂
29. San Eustachio 聖エウスタキオ聖堂 (San Stae)
30. San Tommaso Apostolo 聖使徒トマス聖堂 (San Tomà)
以下は「ヴェネツィア_3 Venezia_3」にページ移動します。
32. San Giovanni Battista Decollato 洗礼者聖ヨハネ斬首聖堂 (San Zan Degola)
33. San Giuliano 聖ジュリアノ聖堂 (San Zulian)
34. Santa Margherita サンタ・マルゲリータ聖堂
35. Santa Maria Assunta detta I Gesuiti サンタマリア・アッスンタ聖堂
36. Santa Maria dei Miracoli サンタマリア・デイ・ミラコリ聖堂
37. Santa Maria del Giglio サンタマリア・デル・ジッリョ聖堂
38. Santa Maria del Rosario サンタマリア・デル・ロザリオ聖堂 (Gesuati)
39. Santa Maria della Carità サンタマリア・デラ・カリタ聖堂
40. Santa Maria della Fava サンタマリア・デッラ・ファーヴァ聖堂
41. Santa Maria della Salute サンタマリア・デラ・サルーテ聖堂
42. Santa Maria della Visitazione ご訪問の聖母聖堂 (La Pietà)
43. Santa Maria di Nazareth サンタマリア・ディ・ナザレ聖堂 (Scalzi)
44. Santa Maria Formosa サンタマリア・フォルモーサ聖堂
45. Santa Maria Gloriosa dei Frari サンタマリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ聖堂
以下は「ヴェネツィア_4 Venezia_4」にページ移動します。
46. Santa Maria Maddalena サンタマリア・マッダレーナ聖堂
47. Santa Maria Mater Domini サンタマリア・マーター・ドミニ聖堂
48. Sant'Antonino Martire 殉教者聖アントニノ聖堂 (Sant'Antonin)
49. Sant'Apollinare 聖アポリナーレ聖堂 (Sant'Aponal)
51. Santissimo Redentore レデントーレ聖堂 (Il Redentore)
53. San Pietro Martire 殉教者聖ピエトロ聖堂
54. Santa Maria degli Angeli サンタマリア・デリ・アンジェリ聖堂
55. Santi Maria e Donato 聖母と聖ドナート聖堂
1. Basilica di San Marco 聖マルコ大聖堂 (Duomo)
サン・マルコ広場 (Piazza San Marco)はいつも大勢の観光客で賑わっています。水上バスでサン・マルコ広場に近づくと聖マルコ大聖堂の高い鐘楼が目に飛び込んで来ます。
桟橋を降りると、12世紀後半に立てられた門のように並ぶ二本の円柱が迎えてくれますが、一方には鰐の背中に乗る聖テオドアと、もう一方には聖マルコの表象である、羽のあるライオンが乗っています。
ヴェネチアの守護聖人は現在では聖マルコですが、9世紀までは聖テオドアでした。
聖マルコ聖堂は、828年に聖マルコの聖遺骨がヴェネツィアに到着したとき、聖遺骨を祀るために建設されたのが始まりでした。火災で崩壊し、二度目の聖堂も11世紀に破壊されましたが、その後再建、改修が重ねられて来ました。
聖堂の正面が完成したのは16世紀になってからです。聖マルコの聖遺骨は一旦その安置場所が不明となりましたが、再度発見されたと言われています。
1807年に司教座聖堂はそれまでの聖ピエトロ・ディ・カステッリョ聖堂 (San Pietro di Castello)から聖マルコ聖堂に移りました。それ以前は、聖マルコ聖堂はヴェネツィア総督の付属礼拝所であり、ヴェネツィア市の公式行事を取り行う聖堂でした。
聖堂はギリシャ十字形で、十字形の交差上に大きなドームが載り、四隅に四個のドームを載せた異国情緒の溢れる設計ですが、設計者は不詳です。
聖堂正面入口上には12世紀に制作された、一年間の作業を表した寓意が見え、上には四頭の青銅の馬が載っています。
この青銅の馬は1204年の第四回十字軍がビザンティン帝国の首都のコンスタンティノープルから奪略してきた戦利品で、原物は宝物館に収容されています。頂点には天使と聖マルコ像があります。両脇にある半円形壁はモザイク画で飾られ、上にはゴティック様式の尖塔が付け加えられています。
同様に簒奪品として、聖堂の正面右側にあるドッカーレ宮殿 (Palazzo Ducale)に接する門 (Porta della Carta)の左側に、ローマ帝国の四人の共同統治者の石像があります。
聖堂内は天井も側壁も全面煌びやかなモザイク画で覆われています。
中央主祭壇のパラドーロ (Pala d'Oro)は銀に鍍金して宝石を散りばめ、七宝で飾られた、高さ1.4m、幅3.48mの眩いばかりの祭壇衝立です。中央にキリスト、周囲に四大福音書記者を配置し、旧約聖書からの預言者と聖使徒の他、大天使や天使の浮彫彫刻が並んでいます。
10世紀に制作された後、数度の改修を経てきています。奥には玉座のキリストのモザイク画が見られます。
天井には多くのドームが載り、いずれも見事なモザイク画で飾られています。扉口に近い拝廊には天地創造が描かれ、一番外側円にはアダムとエヴァの原罪が描かれています。
その右側にアブラハム、ヨセフのドームが並んでいます。
中央のドームはキリストの受難・死と復活・昇天が描かれ、右袖廊上のドームは聖レオナルド、聖ニコロ等の聖人が、主祭壇の上のドームには預言者が、中央手前側のドームには聖霊降臨祭が描かれています。
側壁や柱には、キリストの公生涯を表している他、聖母子や四大福音書記者、聖人、熾天使、智天使、大天使など多くのモザイク画を見ることができます。
しかし、聖堂内の採光は優れているとは言えず、高い天井のモザイク画は充分に見ることはできません。
なお、右手の宝物館には金銀宝石で作られた杯や彫像、聖遺物容器などコンスタンティノープルからの簒奪品が多数収容されています。
聖マルコ大聖堂から少し離れて立つ鐘楼は1173年の建造で、もともとは灯台でした。
16世紀にバルトロメオ (Bartolomeo Bon)により再建されましたが、1902年に劣化により自然崩壊しています。1912年に再建されています。98.5mの高さがあり、街で一番高い建物です。
【補足】San Pietro di Castello 聖ピエトロ・ディ・カステッリョ旧大聖堂
ヴェネチアの東の端の聖ピエトロ島にあります。
建設された当初より、街の政治経済の中心から遠く離れた場所で、1091年から1451年までヴェネチアの司教座があった聖堂です。
現在では訪れる観光客はほとんどいません。なお、現在の聖堂はアンドレア・パラッディオ(Andrea Palladio)の設計を元に1495年から1596年に建設されたものです。
Basilica di San Marco公式Webサイト (http://www.basilicasanmarco.it/?lang=en)
「SUSPENSION OF TOURIST VISITS 2020」
閉館日・時間などが記載されています。
2. San Bartolomeo di Rialto リアルトの聖バルトロメオ聖堂
San Marco地区にある聖堂です。名前の通り、リアルト橋 (Ponte di Rialto)のすぐ東側にある聖堂です。
12世紀末に再築された後、ドイツ人社会の聖堂として発展してきました。後にドイツの商館 (Fondaco dei Tedeschi)が近接して建設されると、密接な関係を保っています。
18世紀に鐘楼を含めて再建されています。聖堂の前には広場もなく、高い鐘楼は近くでは見えません。
ヴェネツィアの観光名所であるリアルト橋の周辺には大勢の観光客が集まり、聖バルトロメオ聖堂の前はいつも混雑していますが、聖堂を訪れる人は見られません。
橋を渡ると聖ジャコモ・ディ・リアルト (San Giacomo di Rialto)聖堂に至ります。
現在ではプラハの美術館に収容されている、デューラー (Albrecht Durer)1506年作の、ロザリオの聖母子 (Festa del Rosario)は、デューラーがヴェネツィアを訪れた際に描かれた作品で、この聖堂に収められていたものです。
このほか、パルマ (Palma il Giovane)作の絵画が収められています。
3. San Benedetto 聖ベネデット聖堂 (San Beneto)
San Marco地区にある聖堂です。
通常は、ヴェネツィアの短縮表現により、San Beneto (聖ベネト聖堂)と呼ばれています。
10世紀に建設された聖堂でしたが、11世紀初頭にベネディクト派の聖三位と大天使ミカエル修道院となりました。その後当初の聖人名の聖堂に戻っています。
12世紀半ばに焼失した後、13世紀初頭にシトー派の聖堂となっています。鐘楼が崩壊したことで聖堂は再度崩壊し、17世紀に再建されましたが、現在では廃院となっており、聖堂の役割は果たしていません。
聖堂前には同名の広場があり、正面に一カ所の扉口があり、両脇の片蓋柱が三角形の破風まで伸びて支える小さな聖堂です。
なお、聖堂前の広場には15世紀の名家ペサロ家 (Palazzo Pesaro Orfei)のフォルチュニィ宮 (Palazzo Fortuny)がありますが、現在は美術館になっています。
4. San Canciano 聖カンチアノ聖堂 (San Canziano)
Cannaregio地域にある聖堂です。通常はSan Canziano (聖カンツィァーノ聖堂)と呼ばれています。
9世紀半ばにランゴバルド王国がフランク王国に征服された後、アキュレイアでは、総大司教 (Patriarcato di Aquileia)をめぐる混乱が起こり、当時グラード(Grado)にあって、アキュレイア総大司教を名乗っていた聖職者の影響下にあるヴェネツィアへ避難してきた人々により建設された聖堂とされています。
その関連で聖堂は4世紀にアキュレイアで殉教した兄弟姉妹 (Canziano,Canzio, Canzionello)に奉献された名称となっています。しかし三人が似た名前なので、一人の名前のように合体させられて呼ばれるようになっています。
聖堂は14世紀半ば以降数度にわたり改修されてきています。左手の鐘楼は16世紀に建設されています。
聖堂の南面には同名の広場がありますが、聖堂正面には広場もなく、狭い通りしかありません。
扉口上の胸像は聖堂建設に資金援助した人物です。
聖堂内は三廊式です。
主祭壇には聖人の見上げる上に聖三位が描かれた絵が掲げられています。
両脇には祭壇が並び、扉口の内側の上にはオルガンが置かれています。
5. San Felice 聖フェリチェ聖堂
Cannaregio地域にある聖堂です。
大運河から北に伸びる聖フェリチェ運河 (Rio di San Felice)に面した聖堂で、正面が二カ所ある独特の形態をしています。
10世紀に建設された聖堂ですが、資料には12世紀初頭から出現しています。
聖堂の北にある鐘楼が崩壊する恐れから16世紀半ばに改築されて現在に至っています。
聖フェリチェ運河に面した東側には半円形の屋根を持つ正面と、南側には三角形の破風を持つ正面の二つがあります。
聖堂の左側面に当たる南側には広場(Campo San Ferice)があります。
なお、このように正面が二面あるような形態は、聖ジョヴァンニ・グリソストモ (San Giovanni Grisostomo)聖堂の正面を模しており、聖ジョヴァンニ・グリソストモ聖堂では正面が三角形の破風の屋根で、右手の屋根が半円形になっています。
聖堂内はギリシャ十字形で、中央にはドームが載っています。
1693年3月に後の教皇クレメント13世(Clemment XⅢ)はこの聖堂で洗礼を受けています。
6. San Geremia 聖ジェレミア聖堂
Cannaregio地区にある聖堂です。
サンタ・ルチア駅前から大運河の手前をスパーニャ通り (Rio Tera Lista di Spagna)に進むと、聖堂前の広場 (Campo San Geremia)に出ます。
大運河を水上バスでサン・マルコ大聖堂に向かうと、スカルツィ (Ponte degli Scalzi)橋を過ぎてすぐ左手に見えてきます。
伝承では聖マグノ (San Magno) によって7世紀に建設された聖堂の一つとされています。聖モーゼ (San Moise)聖堂と同様に、ビザンティン帝国のギリシャ正教の影響を受け、旧約聖書の預言者エレミアを奉献して11世紀に建設された聖堂です。
聖堂の正面左手に立つ鐘楼はヴェネツィアで現存する最古の鐘楼で12世紀の建設でロマネスク様式を残しています。
大運河沿いに預言者エレミアの立像が見えます。
現在の聖堂は18世紀に建設されたもので、正面は第二次大戦で破壊され、再建されています。
聖堂はギリシャ十字形で、中央にはドームが載っています。
この聖堂の最大の特徴は、19世紀にシチリアの聖ルチアの聖遺骨が移遷され、祀られていることです。
7. San Giacomo dall'Orio 聖ジャコモ・ダル・オリオ聖堂 (San Giacomo dell'Orio)
Santa Croce e San Polo地区にある聖堂です。
聖堂の正面には聖堂名と同じ名前の運河 (Rio di S. Giacomo dell'Orio)に掛かる橋 (Ponte di Ruga Vecchia)があり、その橋を渡った先にあります。
聖堂の正面には広場はありません。
左の翼廊から後陣にかけてと、右の翼廊の先に広場(Campo San Giacomo dell'Orio)が展開しています。
正面の左側に鐘楼が聳えています。身廊の中央から翼廊が左右に伸び、ギリシャ十字形に近い形態となっています。後陣には半円柱の塔が三個並んでいることから祭壇が三カ所並列していることが分かります。
聖堂名は月桂樹 (Lauro)があったことに因む説と、狼(lupao)がいたからとの説、更に湿地帯(luprio)であったから、と諸説があります。
街で最古の聖堂の一つで、9世紀半ばには既に存在していたと見なされており、詳細は不明です。
スペインの巡礼地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラ (Santiago de Compostela)大聖堂への巡礼が盛んになる初期の段階からスペインとの関連があったと思われます。その後1223年には現在の鐘楼が建設され、16世紀に拡張されて現在に至っています。
地域密着型の聖堂で、この地区ではほかに、聖ツァン・デゴラ聖堂 (San Zan Degola)と聖スタエ聖堂 (San Stae)があげられます。
聖堂内は三廊式です。
正面の主祭壇にはキリストの磔刑の板絵が天井から下がり、
奥にはロット (Lorenzo Lotto)1546年作の「聖母と聖人」が掛けられています。
右側廊の正面祭壇の上のドームには天使の乱舞が描かれ、下にはキボリウムがあります。
主祭壇の右側に新しい祭具室が追加されており、バッサーノ(Francesco Bassano)作の「聖母と聖洗礼者聖ヨハネと聖ニコロ」などが見られます。
左側廊にある説教壇は聖杯の形態をしています。
左翼廊にはブオンコンシーリョ (Giovanni Buonconsiglio)1500年作の「聖ロレンツォと聖ロッコと聖セバスティアン」があり、
パルマ(Palma il Giovane)1582年作の「聖ロレンツォの殉教」の大きな絵が掲げられています。
天井は船の底型をした見事な木造です。
8. San Giacomo di Rialto 聖ジャコモ・ディ・リアルト聖堂
Santa Croce e San Polo地区にある聖堂です。聖堂の名前の通り、リアルト橋の西側にある小さな聖堂です。
421年3月に建設されたと見なされており、ヴェネチアで一番古い聖堂です。
その後1071年に再建されています。
聖堂の前の広場では、多くの金融業者が集まり、信用取引や金貸し業務の他、各国の通貨を換金する業務が行われていました。現在の両替制度はこの地から発達したものです。
シェイクスピア劇の「ヴェニスの商人」(Marchant of Venice)に登場するユダヤ人のシャイロックやアントニオ等が活躍していたところかと思われます。
聖堂の正面には五本の柱が支える柱廊があります。屋根は木造です。
この柱廊は現在のヴェネチアの聖堂ではほとんど見かけなくなった構造ですが、多くの聖堂で見られた構造でした。
また、聖堂の特徴である大きな時計は短針のみの24時間時計で、1410年に掛けられて商人たちに時間を教えてきました。時計の頂点は12時ではなく18時になっています。その時計の上には、横に三連式の鐘が並び頂点に聖人像が載る独特な構造です。
1514年1月に起きたヴェネツィア大火では一帯が灰燼に帰しましたが、聖堂は奇跡的に焼けずに残っています。
その後洪水からの被害を避けるために1587年に床上げされるなど、16世紀に大改造が行われています。
聖堂内は三廊式のラテン十字形でビザンティン様式が採用されています。
正面主祭壇には両脇に二本ずつ並ぶイオニア式の大理石柱の間に聖ジャコモの立像が置かれています。
両側面には祭壇が並び、受胎告知のほか、
キリストの公生涯を示す板絵などが見られます。
9. San Giorgio dei Greci 聖ジョルジョ・デイ・グレーチ聖堂
Castello地区にある聖堂です。
聖ザッカリア聖堂 (San Zaccaria)の裏手に当たり、グレーチ運河 (Rio dei Greci)に面しています。
ギリシャ正教の聖堂で、ヴェネツィアのギリシャ正教兄弟会の中心となっています。
ヴェネツィアとビザンティン帝国とは深い関係がありますが、それにも関わらずギリシャ正教は永年ヴェネツィアでは認証されていませんでした。15世紀になってギリシャ正教の兄弟会の資金とヴェネツィアに入港するギリシャ船への関税収入で建設された聖堂です。
聖堂右手には鐘楼が聳えています。
ビザンティン帝国からもたらされたイコンが聖堂の宝物となっています。
隣接する聖ニコロ聖堂 (Scuola di San Nicolo)はギリシャ正教のイコン美術館 (Museo delle Icone)になっています。
10. San Giorgio Maggiore 聖ジョルジョ・マッジョーレ聖堂
Giudecca 地区にある聖堂です。
サン・マルコ広場からサン・マルコ運河の彼方に見える、サンジョルジョ・マッジョーレ島にあります。
8世紀には聖堂が建設されていましたが、10世紀末に当時のヴェネツィア総督より、ベネディクト派にこの島が下賜され、修道院が建設されました。
1109年に聖ステファノの聖遺物がコンスタンティノープルより到着してからは、聖人の祝祭日が12月26日であることから、クリスマスは聖ジョルジョ・マッジョーレ聖堂で盛大に祝われることになりました。
その後13世紀初頭に地震で崩壊してしまいます。再建された後、16世紀になって拡大再建にあたり、1565年にパッラーディオ (Andrea Palladio)に設計を依頼し、パッラーディオの死後16世紀末に完成しています。
ラテン十字形の大きな聖堂で、交差廊にはドームが載っています。
左手奥の鐘楼は、15世紀半ばに建設されましたが、18世紀に崩壊し、18世紀末に再建されています。とんがり屋根を持つ高い鐘楼からはヴェネツィアと周辺の島を眺望することができます。
聖堂を正面から見ると、左側の鐘楼と幅広で中央にドームの載る煉瓦造りの建屋の前に、白大理石製の四本のコリント式円柱が切妻型破風を支えるローマの神殿を合わせた形態に見えます。中央一カ所の扉口の脇に二本ずつ並ぶ円柱は高い方形の柱台に乗った二段階になっています。
柱の間の壁龕には聖ジョルジュと聖ステファノの立像があり、ドームの上には聖ジョルジュの立像が見えます。
聖堂内は三廊式で、身廊には半円形の片蓋柱が天井を支えています。
中央主祭壇の前の内陣に聖歌隊席があり、平信徒と聖職者を隔てる衝立が置かれています。
聖堂にはティントレット (Jacopo Tintoretto)の「最後の晩餐」(Last Supper)1592年作、その対面には「マナの収拾」(Gathering of Manna)1590年作、が掲げられています。どちらも6mに届く大作です。
内陣にはカルパッチョ (Vittore Carpaccio)1516年作、「聖ジョルジョの龍退治」(San Giorgio and Dragon)があります。
なお、ナポレオンがイタリアに侵略した際に聖堂が保存していた聖遺物が破壊された他、絵画や工芸品、写本や書籍など、多くの宝物が簒奪されています。
251代法王を選出する会議 (Conclave)がこの修道院で開催され、1800年にピウス7世が選出されています。
注:建築家のパッラーディオについては、ヴィチェンツァ (Vicenza)の街の説明をご参照ください。
11. Santi Giovanni e Paolo 聖ヨハネと聖パオロ聖堂 (San Zanipolo)
Castello地区にある大きな聖堂です。通常はSan Zanipolo (聖ザニポロ聖堂)と呼ばれています。
この聖堂名の聖ヨハネと聖パオロは、ローマ皇帝のユスチニアヌス帝により355年に殉教したローマの兄弟の名前で、洗礼者聖ヨハネや聖使徒の聖ヨハネ、聖パオロとは異なる人物です。両名の聖祝祭日は6月26日です。
聖堂は983年に建設されていますが、12世紀になって文献上に現れます。13世紀にドメニコ派の聖堂として建設された後、拡大されてきており、15世紀半ばに現在の規模になっています。
聖堂の前には広場があり、コレオーニ (Bartolomeo Colleoni)の騎馬像が置かれています。
コレオーニはヴェネツィア共和国の傭兵として活躍した軍人で、遺言で聖マルコ大聖堂にその騎馬像を置くことを希望していました。しかしヴェネツィアには総督の騎馬像も無いことから、死後、聖マルコ大聖堂と同じ名前の聖マルコ同信会(Scuola Grande di San Marco)の前に当たるここの広場に置かれたものです。
聖堂正面はボン (Bartolomeo Bon)の設計で、一カ所の扉口の両脇には二本ずつ大理石の円柱がありますが、その上は煉瓦が積み上げられた粗造りのままで、大理石の化粧板は取り付けられておらず、未完成のままです。
左側に隣接する聖マルコ同信会の正面が大理石で飾られているのとは対照的です。
聖堂内は三廊式です。
太い円柱が樽型の穹窿天井を支えています。
ヴェネツィアの脆弱な地盤ではゴティック様式の石造りの重い天井を支えるのが困難なため、天井は木材を編み込み、漆喰で固めた疑似石造になっています。
左右の側壁には多くの礼拝堂が並んでいます。
聖堂の右側廊には、ベリーニ (Giovanni Bellini)1465年頃作、「聖フェレール」の衝立、(Vincenzo Ferrer)があります。
聖人の両脇に聖セバスティアンと聖クリストフォロ、上には受胎告知とキリストの十字架降下が見られます。
他にも、ヴェロネーゼ (Paolo Veronese)1567年頃作、の「受胎告知」や、チーマ (Cima da Conegliano)作の「聖母戴冠」、ヴィヴァリーニ (Alvise Vivalini)作「十字架を担ぐキリスト」など多くの絵画で飾られています。
聖堂名の、聖ヨハネと聖パオロの姿は、ステンドグラスの中で聖ジョルジョと聖テアドロの間に見ることができます。
注:Cima da Conegliano については、コネリアーノ Coneglianoの項とその大聖堂をご参照ください。
絵画以上に目立つのが、多くの墓です。これは15世紀以降ヴェネツィア総督の葬儀が執り行われたことにより、聖堂内には25人の総督の墓があります。
ヴェネツィア絵画を代表するベリーニ兄弟 (Gentile Bellini、Giovanni Bellini)の墓もあります。
フランチェスコ派を代表する聖堂である、サンタマリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ (Santa Maria Gloriosa dei Frari)聖堂 (単に「フラーリ聖堂」と呼ばれます)は建設された時期や規模や内装、掲げられた絵画作品など、多くの点で比較対象とされています。
公式Webサイト「Basilica dei Santi Giovanni e Paolo」
https://santigiovanniepaolo.it/ (伊語)
下に「開館時間」などが記載されています。
12. San Giovanni Evangelista 福音書記者聖ヨハネ聖堂
Santa Croce e San Polo地区にあります。
970年に建設された古い聖堂です。15世紀に再建され、16世紀18世紀19世紀と改築を続けています。
なお、東側の鐘楼は2017年現在修復中です。
隣接する福音書記者聖ヨハネ同信会との間の狭い広場には、1485年に門が作られ、その半円形の頂点には聖ヨハネの表象である、鷲の浮彫彫刻が見られます。
聖堂は長方形で奥行きより間口の方が長く、左手には鐘楼があります。
なお、聖堂に接する奥の大きな回廊部分は現在大学 (Iuav University of Venice Palazzo Badoer)となっています。
13. Scuola Grande di San Giovanni Evangelista 福音書記者聖ヨハネ同信会
Santa Croce e San Polo地区にあり、福音書記者聖ヨハネ聖堂 (San Giovanni Evangelista)の北側にあります。
リオ・マリオ運河 (Rio Mario)とリオ・ディ・サン・ツアナ運河 (Rio di San Zuana)を結ぶ、短い運河 (Rio San Zuane Evangelista)に面しています。
1261年に設立されヴェネツィアではカリタ、マルコに次いで三番目に古い同信会です。長い歴史を持っていますが、現在では美術館となっています。
この福音書記者聖ヨハネ同信会には、聖十字架の一部が収納されています。
十字軍派遣を組織する中で、キプロスとエルサレム王の大臣を務めていたフランス人の軍人のフィリップ (Philippe de Mezieres)により、1369年に奉納されたものです。
なお、この聖十字架の一部を納めた聖遺物容器はナポレオン時代にも破壊されることを免れ、現在も保存されています。外壁には説教する聖人の浮彫がはめ込まれています。
現在ではアカデミア美術館に収容されているジェンティール・ベリーニ (Gentile Bellini)1500年頃作の「聖ロレンツォ橋の聖十字架の奇跡」は、福音書記者聖ヨハネ同信会から聖ロレンツォ聖堂まで聖十字架を担いで行進して行った際に、橋から聖十字架を運河に落としてしまったものの、運よく発見された状況を描いたものです。
この絵画の左端にはキプロス王妃のカテリーナ (Caterina Cornaro)が描かれています。カテリーナの墓は聖サルバドール (San Salvador)聖堂にあります。
なお、このフィリップは1395年にフランス王の使節として英国に渡り、イザベラ妃 (Isabella of Valois)と英国王リチャード2世との結婚に貢献しています。
ナポレオンがヴェネチアを蹂躙した際にこの同信会は閉鎖されましたが、現在活動しています。
公式Webサイト「Scuola Grande San Giovanni Evangelista di Venezia」(英語)
https://www.scuolasangiovanni.it/en/
https://www.scuolasangiovanni.it/en/art-and-architecture/
こちら↑に内部の写真が多数掲載されています。
https://www.scuolasangiovanni.it/en/calendar-and-hours/
入館料、開館時間などが記載されています。
14. San Giovanni Grisostomo 聖ジョヴァンニ・グリソストモ聖堂
Cannaregio地区にある聖堂です。ビザンティン帝国との関連の強かった11世紀末に、4世紀のギリシャ正教の聖人を奉献する聖堂として建設されています。イタリアでは非常に稀な例です。
1495年に火災で焼失しましたがすぐに再建されています。多くの建設を手がけたコドゥッシ (Mauro Codussi)の最後の作品で、聖堂の完成は死後、息子の手でなされています。
聖堂の正面の右手には隣接して、16世紀に建設された大きな鐘楼があるので、奥行きのある聖堂のように見えますが、ギリシャ十字形の小さな聖堂です。
聖堂内はギリシャ十字形で、主祭壇にはピオンボ (Sebastiano del Piombo)作の聖ジョヴァンニ・グリソストモ他大勢の聖人が描かれた祭壇画が掲げられています。
右側面にはベリーニ (Giovanni Bellini )1513年の傑作、「聖ジロラモ、聖クリストフォロ、聖ルドヴィコ」が見られます(写真の右端)。
15. San Giovanni in Bragora ブラゴーラの洗礼者聖ヨハネ聖堂
Castello地区にある聖堂です。聖堂名のBragoraには諸説あり、ギリシャ語の広場(Agora)、イタリア語の湿地(Brago)や水車池(Gora)等がありますが、詳細は不明です。
11世紀に建設された聖堂ですが、12世紀、15世紀、18世紀と数回にわたり改築されています。
15世紀の改築の際にコドゥッシ (Mauro Codussi/Coducci)により従前のゴティック様式からロマネスク様式に変更されています。従って正面を見ると、その前に建設した聖ミカエル (San Michele)聖堂との類似性が認められます。
正面には三カ所の扉口があり、中央の扉口の上には丸窓が、両脇には尖頭型アーチの窓があります。
両脇の片蓋柱と両端の控柱で三分されています。なだらかな屋根がルネサンス様式を感じさせます。聖堂前には大きな広場があり、中央には井戸があります。
聖堂の右手側面の扉口から出るとその先にも小さな広場があります。この近くに聖ミカエル (San Michele)聖堂やご訪問の聖母聖堂 (Santa Maria della Visitazione=La Pieta)の建築で有名な建築家のマッサーリ (Massaari)の生家がありますが、本人もこの聖堂に埋葬されています。
聖堂内は三廊式です。
正面の主祭壇にはチーマ (Giambattista Cima)の「キリストの洗礼」1492年作が掲げられています。
注:Giambattista Cimaはその出身地を名前に入れて、コネリアーノのチーマ (Cima da Conegliano)とも呼ばれています。
内陣の右手の「コンスタンティヌス帝とエレナ妃の聖十字架発見」1501年作、も同じくチーマの作品です。
主祭壇の左手にはパルマ (Palma il Giovane)1595年作の「洗足」が見えます。
なお、同じパルマ作「カヤパの前のキリスト」1595年作、は扉口の内側に掲げられています。
内陣にはベリーニ (Giovanni Bellini)の一世代前に活躍したヴィヴァリーニ (Alvise Vivarini)作「キリストの復活」1497年作、が右手に、「聖母子」1485年作と「キリストの祝福」1495年作、が左手にあります。
その他多くの絵画作品が掲げられている聖堂です。
屋根は船形で、聖堂入って左に洗礼盤があります。
両脇には二カ所ずつ礼拝堂が並んでいます。
小さいながらも均整の取れた聖堂です。
公式Webサイト
San Giovanni Battista in Bragora (伊語)
http://www.sgbattistainbragora.it/index.php
ていねいな作りで良質なサイトです。伊語ですのでGoogle翻訳で読みましょう。