ミラノ_2 Milano_2
15. San Simpliciano 聖シンプリチアーノ聖堂
16. Santo Stefano Maggiore 聖ステファノ聖堂
17. Santa Maria al Paradiso サンタマリア・アル・パラディーソ聖堂
18. Santa Maria dei Miracoli presso San Celso サンタマリア・デイ・ミラコリ聖堂と聖チェルソ聖堂
19. Santa Maria del Carmine サンタマリア・デル・カルミネ聖堂
20. Santa Maria delle Grazie サンタマリア・デレ・グラツィエ聖堂
21. Santa Maria delle Grazie al Naviglio サンタマリア・デレ・グラツィエ・アル・ナヴィーリオ聖堂
22. Santa Maria Incoronata サンタマリア・インコロナータ聖堂
23. Santa Maria presso San Satiro サンタマリア聖堂と聖サティロ礼拝堂
24. Sant'Alessandro in Zebedia 聖アレッサンドロ・イン・ゼベディア聖堂
1~14までは「ミラノ Milano_1」をご覧ください。
15. San Simpliciano 聖シンプリチアーノ聖堂
地下鉄M2線のランツア(Lanza)駅からティヴォリ通り(Via Tivoli)を東に進み、直ぐにガリバルディー通り(Corso Garibaldi)に左折して北に向かうと、右手に聖シンプリチアーノ聖堂前にある、同名の広場(Piazza San Simpliciano)に出ます。もしくはティヴォリ通りをポンタッチョ通り(Via Pontaccio)まで進み、サン・シンプリチアーノ通り(Via San Simpliciano)に左折すると聖堂脇の広場(Piazza Paolo Ⅵ)に出ます。
歴史のある大きな聖堂です。もと聖母教会(Basilica Virginum)でした。4世紀にローマ帝政期の城壁の外に建設された4か所の聖堂の一つで、聖アンブロージョにより建設されました。
聖堂は、401年にシンプリチアーノ司教により完成され、司教自身がこの聖堂に埋葬されたことで、聖堂の名称が変更されました。
現在の聖堂は12世紀にロマネスク様式で改装され、正面には3つの入口が並びますが、19世紀になって、マチアッキーニ(Maciachini)が正面を改修しています。中央入口上の二連式のアーチ型窓と、左右の入口上に三連式のアーチ型窓を配し、各々の入口上の半円形の煉瓦と交互に配置されている白石の飾りが、最上部の切妻屋根の頂点に向かうアーチと良く調和させることで、リズミカルな趣を醸成しています。
中央入口に並ぶ脇柱の柱頭には12世紀に改築された当時の「賢明な乙女と愚かな乙女」が行列をしている浮彫が飾られていますが、残念ながら多くは頭の部分が破損しています。その他にロマネスク様式でよく見られる想像上の動物の柱頭飾りも見えます。
側面最上部を見上げると初期聖堂建築で良く見られるブラインドアーチが残されているのが分かります。
聖堂内は三廊式ですが、両脇に礼拝堂などを増築し、袖廊を追加した結果、複雑な形をしています。
内陣やアプシスは中心軸から若干左側にずれていて、身廊の正面にはありません。
内陣の両脇の柱には説教壇があり、中央主祭壇のキボリウムの中にはキリスト像が置かれています。
アプシスには多くの殉教聖人と天使の中央に、聖三位一体と聖母戴冠を描いた、1508(/1515)年ベルゴニョーネ(Bergognone)作のフレスコ画が飾られています。
右側廊の奥の最初は受胎告知の礼拝堂で、15世紀のフレスコ画が見られますし、次いで洗礼の礼拝堂、聖マウロ(San Mauro)礼拝堂、四番目はベネデット礼拝堂で、17世紀初頭のサルメッジャ(Enea Salmeggia)作、聖ベネディクトの奇蹟が飾られています。
なお、両脇に設置されているオルガンの下壁には聖人たちが描かれ、その左手から地下礼拝堂に入ることができます。
右袖廊正面には聖母像があり、
左袖廊の正面には聖母子像が置かれており、両脇に絵画が掲げられています。
入口の上にもオルガンがあります。
なお、正午から15時まで閉門されます。
公式Webサイト「Comunita Pastorale Paolo Ⅵ」
https://sansimplicianomilano.com/
「パウロ Ⅵ世 ミラノ司牧共同体」には以下の4教区、
San Marco教区、San Simpliciano教区、Santa Maria Incoronata教区、San Bartolomeo教区
があり、Webサイトには上記4聖堂へのリンクがある。
16. Santo Stefano Maggiore 聖ステファノ聖堂
ドゥオーモの南側に沿って裏手に廻り、フォンタナ広場(Piazza Fontana)に出てからラルガ通り(Via Larga)を渡ると、聖堂と同名の広場(Piazza Santo Stefano)に出ます。非常に大きな聖堂ですから、遠くからでも見えます。
なお、聖堂に向かって左側には聖ベルナルディーノ・アッレ・オッサ(San Bernardino Alle Ossa)聖堂があります。
5世紀初頭に、後にミラノ大司教となる聖マルティヌス(San Martinus)により建設された聖堂です。当初は聖ゼッカリア(San Zecharia)と聖ステファノの聖堂でしたが、後にキリスト教の最初の殉教者の聖ステファノを祀る聖堂になっています。聖マルティヌスの聖遺骨は20世紀になってミラノ大聖堂に移葬され、聖アガタ(Sant'Agata)礼拝堂に埋葬されています。
11世紀に火災で崩壊した後にロマネスク様式で再建され、16世紀以降は多くの改築を重ねて規模が拡大してきました。
聖堂正面は二層になっており、上下二段の壁龕に四体の聖人立像が見えますが、左側の上は聖ステファノです。
聖堂正面右手にある四層の鐘楼の二層目の正面には福音書記者聖ヨハネの立像が見えています。17世紀に崩壊した後再建されています。
聖堂内は三廊式に見えますが、両脇に礼拝堂が並ぶ五廊式の大きな聖堂です。
説教壇はオルガンより入口寄りの左手にあります。
身廊側にアーチ内に絵画が掛けられていますが、穹窿天井に絵はなく、清楚な印象を与える聖堂です。
正面主祭壇右側には聖ステファノの絵が見えます。
17. Santa Maria al Paradiso サンタマリア・アル・パラディーソ聖堂
地下鉄M3のクロチェッタ(Crocetta)駅からヴィジェンティーナ通り(Corso di Porta Vigentina)を南下するとすぐ右側に見えてきます。
聖フランチェスコ派の教会として16世紀末に、トレントの公会議の規律に従って建設されています。なお、正面は19世紀に新バロック様式で改築されています。
聖堂内は三廊式で、両側に礼拝堂が並びます。
中央主祭壇には十字架とロザリオを持つ聖母像が立ち、
アプシスの正面にはヴェロニカを持つ天使が描かれています。
天井の一部には聖母被昇天が描かれています。
右側廊の最初は、聖イシドロ(San Isidore)の礼拝堂で四番目は聖アン礼拝堂です。
側廊の柱のフレスコ画は鮮やかに修復されています。
18. Santa Maria dei Miracoli presso San Celso サンタマリア・デイ・ミラコリ聖堂と聖チェルソ聖堂
地下鉄M3線のミッソーリ(Missori)駅から路面電車15番でイタリア通り(Corso Italia)を南に向かいアルミ大通り(Via Molino delle Armi)を過ぎた所(Corso Italia Via Lusardi)で降りると、路面電車通りに面して左側に見えてきます。
聖チェルソ聖堂の別院として奇跡の聖母のイコンを収納するために1430年に建設された礼拝堂を改築して、1493年に建設されています。
聖堂正面の前には路面電車道に沿って回廊があります。
中央入口の上には降誕の浮彫があり、左に大天使ガブリエル、その左手に東方三博士の礼拝、右に聖母の立像とその右に神殿奉献の浮彫が見えます。
四層構造の三層目にも、ご訪問、エジプト逃避、等の浮彫があり、切妻屋根の内側には聖母被昇天の浮彫が見られ、屋根の上には左右にラッパ吹く天使と、頂点に聖母像が立っています。
その他にも多くの浮彫や聖人像の立像で飾られています。
当初の聖堂は単廊式のラテン十字でしたが、16世紀初期に両側に側廊を追加し、内陣を取り囲むように周歩廊を追加したために、一回り大きな聖堂になっています。
従って、現在の聖堂は三廊式となっており、左右の側壁に4か所の礼拝堂が並んでいます。
聖堂内は代表的なルネサンス様式の構造となっています。なお、1620年に14世紀に描かれた聖母子のフレスコ画の聖母が涙を流したという奇跡を受けて、聖堂の名前が奇跡の聖母(Santa Maria dei Miracoli) 聖堂となっています。
側廊の天井はテラコッタ像と絵画で埋め尽くされ、礼拝堂はマニエリスト様式から対抗宗教改革の意向に則った絵画が多く掲示されています。
フェラーリ(Gaudenzio Ferrali)作のキリストの洗礼、フォンタナ(Annibale Fontana)作の聖母被昇天像、ウルビーノ(Carlo Urbino da Clema)作の キリストの暇乞い、ボンビチーノ(Alessandoro Bonvicino)作の聖パオロの改宗、等16世紀の画家の絵が飾られています。
公式Webサイト「Sanutario di Santa Maria dei Miracoli e San Celso - Milano」
https://www.santamariadeimiracoliesancelso.it/
聖母が涙を流したフレスコ画などはこちら↓からご覧になれます。
https://www.santamariadeimiracoliesancelso.it/interno/
San Celso 聖チェルソ聖堂
サンタマリア・デイ・ミラコリ聖堂の元となった聖チェルソ聖堂は、殉教聖人の聖チェルサス(Saint Celsus)に奉献して建設されたロマネスク様式の小さな聖堂です。
奇跡をもたらす聖母のイコンを収納するため10世紀末にベネディクト派により建設され、11世紀にロマネスク様式で再建されています。その後ゴティック様式に改築され、15世紀後半には多くの巡礼者を受け入れるために拡張されました。
正面には薔薇窓があり、動物の浮彫のある入口が見えますが、当初の聖堂より奥に下げられて、19世紀に再建されたものです。正面の右側に見える鐘楼は11世紀に再建された当時のままで、ミラノでも古いロンバルド-ロマネスク様式の鐘楼の一つです。
聖堂内は三廊式です。なお、入口は後陣にありますが、中には入れません。
公式Webサイト「Sanutario di Santa Maria dei Miracoli e San Celso - Milano」の「LA BASILICA DI S. CELSO」ページに内部の写真が一部あります。
こちら↓からご覧いただけます。
https://www.santamariadeimiracoliesancelso.it/la-basilica-di-s-celso/
19. Santa Maria del Carmine サンタマリア・デル・カルミネ聖堂
ミラノを代表するブレラ(Brera)美術館の正面から南下し、一本目を右折するとカルミネ通り(Via Carmine)に入ります。聖堂の前には同名の広場 (Piazza del Carmine) があります。
1446年(一説に1447年)、カルメン派修道会により従来あった聖堂上に建設され、17世紀に聖堂内陣はバロック様式で改修されています。
最上部の、屋根の頂点に両側から向かうアーチ型はブレラ美術館の北にある、 聖シンプリチアーノ(San Simpliciano)聖堂の正面との類似性が見られます。
正面は四本の片蓋柱で三分され、中央に大型の薔薇窓が、左右に小型の薔薇窓が見られ、
正面入り口上のティンパヌムには聖母子像が、その左右には受胎告知の浮彫が配置されています。
屋根上の尖塔の内部には聖母マリア像の他、聖人像が見られます。
聖堂内は三廊式で、身廊を飾る絵画はありません。
中央の祭壇前面は最後の晩餐が浮彫で飾られ、キボリウムの上には旗を持つキリスト像があります。アプシスにはオルガンが置かれています。
内陣は16世紀作成の木製で、19世紀作のドゥオーモの尖塔を飾る像の原像が置かれています。
公式Webサイト「CHIESA DEL CARMINE」
https://www.chiesadelcarmine.net/
以下のページから聖堂内部のすべての場所を「360°ヴァーチャルツアー」でご覧になれます。
https://www.chiesadelcarmine.net/la-chiesa/
20. Santa Maria delle Grazie サンタマリア・デレ・グラツィエ聖堂
コルソ・マジェンタ通り(Corso Magenta)の北側にあり、地下鉄での便はさほど良くはありませんが、ドゥオーモ広場からの16番の路面電車が聖堂の前に止まりますので、路面電車の利用が便利です。
聖堂前には広い広場(Piazza di Santa Maria delle Grazie)があり、いつも多くの観光客であふれています。
ミラノでも有名な聖堂の一つで、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のフレスコ画がある聖堂、と言ったら直ぐにお分かりになると思います。なお、現在「最後の晩餐」は聖堂の左手にある美術館(Museo dei Cenacolo Vinciano)の管理下にあり、聖堂とは別になっています。また事前に予約しないと見ることができません。
「最後の晩餐」の高解像度画像はこちら↓から
以下のWebサイトから「最後の晩餐」の「高解像度画像」をご覧いただけます。
https://cenacolovinciano.org/museo/le-opere/ultima-cena-leonardo-da-vinci-1452-1519/
画面右下の「+」「-」で拡大・縮小。
初代スフォルツア公フランチェスコ1世によりソラーリ(Guiniforte Solari)によりロンバルド-ゴティック様式で建設されたドミニコ派の聖堂です。ソラーリはチェルトーザ・ディ・パヴィア修道院(La Certosa di Pavia)の建設にも係わっている当時一級の建築家です。
その後ブラマンテ(Donato Bramante)の設計で改築されたとされていますが、確たる証拠はなく、ベルガモにあるコレオーニ礼拝堂(Cappella Colleoni)の設計者のアマデオ(Giovanni Antonio Amadeo)の設計とみなされています。
注:ベルガモ(Bergamo)のコレオーニ礼拝堂(Cappella Colleoni)とチェルトーザ・ディ・パヴィア修道院(La Certosa di Pavia)を参照ください。
正面には入口が3か所あり、各入口の脇の四本の片蓋柱に挟まれて尖塔型窓が並び、中央の大きな丸窓の上に、切妻屋根に沿って5個の丸窓が並ぶ独特な形態をしています。
交差廊の上には巨大なドームが載っています。鐘楼はありません。
聖堂内は五廊式で、両側廊に6か所の礼拝堂が並んでいます。長さ63m、幅30m、高さ14.4mの大きな聖堂です。
中央主祭壇の奥に内陣が延長されており、特に長さを感じさせます。
アプシスにはキリストの磔刑像が飾られただけで、簡素な造りです。
フェッラーリ(Gaudenzio Ferrari)作の「キリストの受難」やゼナーレ(Bernardino Zenale)作「復活と受難」などの他、フレスコ画の残る礼拝堂が並んでいますが、鉄柵で遮蔽されており、近づくことはできません。
回廊にも出られますし、観光客用の売店もあります。
21. Santa Maria delle Grazie al Naviglio サンタマリア・デレ・グラツィエ・アル・ナヴィーリオ聖堂
地下鉄のポルタ・ジェノヴァ(Porta Genova)駅からカザーレ通り(Via Casale)を進み運河(Alzaia Naviglio Grande)に向かい、運河に出て左折すると、聖堂があります。聖堂の少し先にある橋を渡ると、運河を挟んで聖堂の全体がよく見えます。
なお、聖堂の場所を聞くときには、サンタマリア・デレ・グラツィエ聖堂と言うと、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のフレスコ画がある聖堂と間違えられますので、地元では「サンタマリア・アル・ナヴィーリオ聖堂(Chiesa di Santa Maria al Naviglio)」と言った方が良いでしょう。
運河に面して3か所の入口があります。
背の高い聖堂ですが正面には一切窓が無いので、要塞のように見えます。
16世紀半ばの建設で、18世紀以降拡大改築されています。
聖堂内は三廊式のネオゴティック様式で、両脇のステンドグラスと八角形のドームから採光されており、予想以上に明るい聖堂です。
22. Santa Maria Incoronata サンタマリア・インコロナータ聖堂
ガリバルディ(Garibaldi FS)駅からコモ通り(Corso Como)で南下し、フランチェスコ・クリスピ通り(Viale Francesco di Crispi)の信号を越えると、通りの名前がガリバルディ通り(Corso Garibaldi)となりますがそのまま進むと左側にあります。
サンタマリア・ディ・ガルニャーノ(Santa Maria di Gargnano)聖堂と聖ニコラ(San Nicola di Tolentino)聖堂が1468年に合体させられ、聖堂名も変更されています。
切妻屋根で入口が一つの聖堂が二つ並んだ形態をしています。
聖堂内は二廊式で、スフォルツァ(Sforza)一族の墓があります。
公式Webサイト「Parrocchia Santa Maria Incoronata」
http://www.parrocchiasantamariaincoronata.it/
「Parrocchia:教区」のWebサイトです。
「教区(Parrocchia)」→「歴史・芸術ニュース(Notizie storico-artistche)」の下に「礼拝堂(Cappella)」やアプシス(Apsidi)の写真があります。
23. Santa Maria presso San Satiro サンタマリア聖堂と聖サティロ礼拝堂
ドゥオーモ広場からトリノ大通り(Via Torino)を南西に進みて直ぐの、細いスペロナリ通り(Via Speronari)に左折するとサンタマリア聖堂と聖サティロ聖堂の正面に出ます。サンタマリア聖堂と聖サティロ礼拝堂の二つの聖堂は接続しています。トリノ大通りは人通りが多いので、通り過ぎないことが肝心です。
876年(一説に879年)、アンスペルト大司教が聖アンブロージョの兄弟の聖サティロに奉献してロンバルド・ロマネスク様式で建設しましたが、現在では、その遺構は鐘楼と一部ピエタ礼拝堂に見られるだけです。
1472年から1482年にガレアッツオ公(Galeazzo Maria Sforza)の命により、ブラマンテ(Donato Bramante)が中心になって改修したと考えられていましたが、最近では、ジョヴァンニ(Giovanni Antonio Amadeo)の設計を元に再建されたとみなされています。
現在の聖堂内部は三廊式で蒲鉾型天井ですが、ブラマンテが限られたスペースを生かして作成した、奥行き1mにも満たない中央祭壇とフレスコ画のアプシスは必見です。
このアプシスは、だまし絵(trompe l'oeil)の中でも一番古い作品の一つとみなされています。正面から見ると中央主祭壇が長く続いているように見えます。
なお、トリノ通り(Via Trino)からスペロナリ通り(Via Speronari)を進み、ファルコーネ通り(Via Falcone)との交差路の右手が、サンタマリア聖堂と聖サティロ聖堂の裏手に当たります。外から見ると、サンタマリア聖堂と聖サティロ礼拝堂の中央祭壇はファルコーネ通りに接しており、内陣を十分の長さにとることができなかったことが良く分かります。
右側廊には15世紀にブラマンテにより建造された、八角形の洗礼堂があります。
左袖廊から繋がる聖サティロ礼拝堂には、1482年にアゴスティノ・デ・フォンデュリス(Agostino De Fondulis)作のテラコッタ製の「哀悼」があります。
24. Sant'Alessandro in Zebedia 聖アレッサンドロ・イン・ゼベディア聖堂
地下鉄M3線のミッソーリ(Missori)駅前の広場から細いゼベディア通り(Via Zebedia)を西に向かうと突き当たり右側に聖堂と同名の広場(Piazza Sant'Alessandro)があります。大きな聖堂です。
1601年にギリシャ十字形で建設され、1626年には完成しています。中央には大きなドームが見られます。
正面はイオニア式の柱が並び、両脇に鐘楼がそびえ、屋根は典型的なバロック様式で建設されています。屋根の頂点には十字架を持つキリストと両脇にラッパを吹く天使の立像が見られます。
聖堂内はバロック様式の多くの絵画で飾られ、右側廊の第3礼拝堂には「キリストの磔刑」が見られ、16世紀のプロカッチーニ(Camillo Procaccini)作の「聖母被昇天」が左側廊第1礼拝堂にあります。
25. Sant'Ambrogio 聖アンブロージョ聖堂
地下鉄M2でサンタンブロージョ(Sant'Ambrogio)駅を出ると直ぐです。
キリスト教の四大教父の一人、聖アンブロージョを祀る聖堂です。
聖アンブロージョはミラノの街の守護聖人でもあり、ミラノで最も重要な聖堂とも言えます。
379年、殉教者の墓地の跡にアンブロージョ司教が最初の三廊式のバシリカを建設しました。789年に大司教ピエトロがベネディクト派の修道院を隣接させて建設し、更に9世紀初旬に大司教アンスペルト(Ansperto)が聖堂の入口の手前に、回廊に囲まれた中庭を建設しました。
この回廊に並ぶ各柱の柱頭は一つずつ違った形の草の葉、羊、ライオンの他にロマネスク特有の想像上の怪奇な動物で飾られています。
回廊の入口を入ると正面に聖堂の入口が見えますが、真っすぐに聖堂の入口に進まず、回廊の柱頭飾りをゆっくり見学することをお勧めします。
なお、回廊は幅17.24m、奥行き32mで、聖堂内の身廊の幅に一致しています。
回廊の入口を入ると見えてくる、向かって右の低い方の「修道士の鐘楼(Monks Bell Tower)」も9世紀初頭に建設されています。左側の高い方の「規律の鐘楼(Canons Bell Tower)」は12世紀初めになって建設されました。その間、10世紀には聖堂内の改装が行われ、11世紀には祭壇下の地下聖堂が改装されています。
聖堂内は袖廊の無い三廊式で、典型的なロンバルド・ロマネスク様式です。
正面の、9世紀にウォルヴィニオ(Volvinio)が制作した祭壇天蓋の下には、聖アンブロージョの聖遺物が収納された祭壇が置かれています。
正面にはキリストの生涯が、裏面には聖アンブロージョの生涯が浮彫で描かれています。一段と高くなった内陣奥のアプシス上には玉座のキリストのモザイク画が見られます。
身廊の左側には4世紀のスティリーコ(Stilicho)将軍の石棺と呼ばれる、周囲を浮彫で飾った大きな石棺が置かれていますが、その石棺を囲む東屋の柱にも天使や動物など興味ある浮彫が見られます。
側廊はトリビューンを設けて2階建てとなっています。また周囲の柱にも羊や牛などの柱頭飾りがありますし、柱や壁には聖アンブロージョを描いたフレスコ画等が一部残されています。
地下聖堂(Cript)にはローマ帝国皇帝ネロの下で、殉教した双子の兄弟の、聖ウェルファシウスと聖プロタシウスが埋葬されています。
397年に上記両聖人の間に聖アンブロージョが埋葬されました。中世には聖人による奇跡を求めて多くの巡礼者が訪問しています。
現在でも三体の聖人の聖遺骸を見ることができ、前で祈る人も見受けられます。
右側廊奥から拝観料を払って、聖アンブロージョ聖堂より前の4世紀に建立された、金の天空礼拝堂(Saccelo di San Vittore in Ciel d'Oro )に入ることができます。
聖アンブロージョの聖遺物が収容されている聖遺物容器の他にも多くの聖遺物が収められているほか、多くの宝物や初期聖堂のフレスコ画も見られます。
5世紀に金色のモザイク画で作成されたドームの頂点には聖ヴィットーレが描かれ、一つの側面に聖アンブロージョが聖ウェルファシウスと聖プロタシウスの間にモザイクで描かれています。
聖マテルノ(San Materno)や聖フェリチェ(San Felice)等、他の聖人を描いたモザイク画も見ることができます。なお、入場時間には制限があります。
後に、ブラマンテ(Bramante)はスフォルツア家の要請で、ベネディクト派の司祭館を再建しています。
このような拡張された部分や修道僧の居住部分は大学や美術館に転用されている例が多く、聖アンブロージョ聖堂の大回廊はサクロ・クオーレ大学となっています。
なお、ベェネディクト派の修道院(Monastero di San Vittore)はレオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館となっています。
公式Webサイト「BASILICA DI SANT'AMBROGIO」
https://www.basilicasantambrogio.it/
内部レイアウト(平面図)とその写真
https://www.basilicasantambrogio.it/mappa-della-basilica
平面図の中の番号(1~9)をクリックすることでその写真が表示されます。
26. Sant'Eufemia 聖エウフェミア聖堂
地下鉄M3線のミッソーリ(Missori)駅から路面電車15番でイタリア通り(Corso Italia)を南に向かい一つ目(C.So Italia Via San Sofia)で降りると、路面電車の道に面して左側に見えてきます。
現在地下鉄M4線の工事中でリナーテ空港(Linate Aeroporto)駅からサン・バビラ(San Babila)駅まで開通しています。
2024年中にはサン・ソフィア(San Sofia)駅が開業予定です。
472年に建立され、カルケドン(Chalcedon)公会議に出席し、聖エウフェミアの聖遺物をミラノに持ち帰ったとされています。
中央には薔薇窓があり、四大福音書記者の表象が周囲に配置されています。屋根の上の尖塔内には聖母の立像が見えます。
正面の柱廊奥の入口上のティンパヌムには聖母子像が、その両脇には天使像のモザイク画が金色に輝いています。
ラヴェンナ(Ravenna)にある皇母ガッラ・プラチディア霊廟(Mausoleo di Galla Placidia)の天井のモザイクに類似しています。
聖堂内はネオゴティック様式で、白と黒が縞模様を成す大理石柱が穹窿を支え、天井には青空に星が輝いています。
アプシス上の天蓋には玉座のキリストが聖書を手に祝福のポーズで坐し、周囲を天使が囲んでいます。
右側廊には4つの礼拝堂がありますが、第3礼拝堂の聖母子画はマルコ・ドッジョーノ(Marco d'Oggiono)の制作ですが、左側廊の第1礼拝堂にも同一画家の作品が見られます。
小さな聖堂ですが、色彩に富み非常に華やかな明るい印象を与えてくれる聖堂です。
27. Sant'Eustorgio 聖エウストルジョ聖堂
聖ロレンツォ大聖堂 (San Lorenzo Maggiore)からティチネーゼ通り(Corso di Porta Ticinese)を南に向かい、路面電車で一つ目の駅の左側にあります。長らく路面電車の修復工事を行っており、聖ロレンツォ大聖堂から歩かざるを得ませんでしたが、現在改修作業が完了しています。
4世紀に建設された聖堂跡に、7世紀以降15世紀まで掛けて増築と改築が行われました。
1336年1月にドミニコ派の聖職者により、サンタマリア・デラ・グラツィエ聖堂から聖ロレンツオ聖堂を経由してこの聖堂まで聖遺物を奉じて行進をした記録が残っています。
大きな聖堂で、正面には三箇所の入口があり、中央の一段大きな入口のティンパヌムには聖母子像が描かれています。
各入口の上に在るアーチ型窓上の半円形の白石が、赤いレンガ造りにリズミカルな印象を与えています。
聖堂内は三廊式で、身廊には磔刑のキリストの板絵が掛かっています。
内陣には6人の聖職者の胸像が並ぶ奥に、一段と高い位置に14世紀末制作のキリストの受難を表す浮彫が見えます。
右側廊には大きな石棺があり、キリストの生誕を祝うために参内した東方三王(三人のマギ)が埋葬されていた石棺と言われています。東方の三王の聖遺骨の変遷は以下の通りです。
ローマ帝国のコンスタンティヌス(Constantin)大帝の母后ヘレナ(Herena)が東方三王の聖遺骨を発見し、コンスタンティノープルの聖ソフィア(St. Sophia)聖堂に移葬しました(第1回目の奉遷)。
その後忘却されていましたが、マウリシウス(Mauricius)皇帝が再発見し、後にミラノ大司教となるエウストルジョ(Sant`Eustorgio)によりミラノにあるこの聖堂に移葬されました(第2回目の奉遷)。
さらにその後、神聖ローマ帝国皇帝のバルバロッサ(Frederic Barbarossa)がミラノを征服した際に戦利品とし、後にケルンの大司教となるライナルド・ダッセル(Rainald of Dassel)により、ドイツのケルンに移葬されました(第3回目の奉遷)。
このような変遷を経て、現在では東方三王の聖遺骨はケルンの大聖堂の中に保存されています。
地下聖堂の天井には、四大福音書記者の表象を描いたフレスコ画を見ることができます。
ポルティナーリ礼拝堂(Cappella Portinari)にはフォッパ(Vincenzo Foppa)作「殉教者聖ピエトロの生涯(Storie di San Pietro Martire)」のフレスコ画や、1339年バルドゥッチョ(Giovanni di Balduccio)制作の白大理石製の「殉教者聖ピエトロ墓碑(Arca di San Pietro Martire)」がありますが、聖堂から直接入ることはできず、入口は別になっており、拝観料が必要です。
以下の「BASILICA DI SANT'EUSTORGIO」Webサイトに「ポルティナーリ礼拝堂(Cappella Portinari)」の内部写真があります。
https://chiostrisanteustorgio.it/luogo/cappella-portinari/
上記ページの右下に「ARCA DI SAN PIETRO MARTIRE」へのリンクがあり、クリックすると詳細の写真が掲載されています。
ページ左下には「フォッパ作のフレスコ画(AFFRESCHI)」へのリンクもあります。
「BASILICA DI SANT'EUSTORGIO」Webサイト
https://chiostrisanteustorgio.it/luogo/basilica/