ローマ  Roma_4

46. Basilica di Sant'Andrea della Valle 聖アンドレア聖堂

 

 ナヴォナ広場の東側に、広場に並行して南北に走るリナシメント (Rinascimento) 通りを南下し、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世大通りと交叉する箇所に聖アンドレア広場があります。非常に大きな聖堂です。

 

 1591年に建設が開始され、1665年までかかって完成しています。正面はレイナルディ (Carlo Rainaldi) が引き継いで最後に完成させていますが、バロック様式の典型的な構造を示しています。

 

 中央扉口の脇にはコリント式の柱頭飾りの太い円柱が8本、上層階まで伸び、壁龕には聖セバスチャンなどの聖人の立像が納められています。像の上にエンブレムを捧げる天使の羽にも注目です。

 

 

 聖堂内はラテン十字型で、身廊の幅が広いために単廊式のように見えますが、左右に四ヵ所、礼拝堂が並ぶ三廊式です。

 

 

 聖ジェス聖堂と同じように宗教改革に対抗して建設され、厳格で簡素な構造が特徴となっています。しかし、礼拝堂、天井、側廊など聖堂内は多くの絵画で埋め尽くされています。

 

 

 中央祭壇奥のアプシス正面にはプレッティ (Mattia Preti) 1651年作「聖アンドレの磔刑」が巨大な大きさで描かれています。

 

 

 左手には「聖アンドレの処刑」があります。

 

 

右手には「聖アンドレの埋葬」があります。

 

 

 上部にもドメニキーノ (Domenichino) 作の一連の聖アンドレの生涯の場面が描かれています。

 

 

 中央には「聖アンドレアと聖ピエトロの招聘」、左手には「聖アンドレアの鞭打ち」、天井には「洗礼者ヨハネが聖アンドレアと聖ピエトロをキリストに導く」場面が見られます。

 

 

 ドームはマデルノ (Carlo Maderno) 1622年作で、聖ピエトロ大聖堂に次ぐ大きさを誇ります。

 

 「天国の楽園」がランフランコ (Lanfranco) により描かれています。天空に吸い込まれて行く絵はコレッジョ (Correggio) が描いたパルマのドゥオーモの天井画に通じるものがあります。

 

 

 四隅の4大福音書記者もドメニキーノの作品です。

 

 交叉廊の手前にはピウス2世法王とピウス3世法王の墓碑があります。

 

47. Chiesa di Sant'Anselmo all'Aventino 聖アンセルモ聖堂

 

 テヴェレ川にかかるパラティーノ (Palatino) 橋とスブリチオ (Sublicio) 橋の中間で、聖サビーナ聖堂聖アレッシオ聖堂 (Santi Bonifacio e Alessio)の先のマルタ騎士団の館の前の広場にあります。

 

 

 聖堂の外観と、右手に見える鐘楼はロマネスク様式です。

 

 

 聖堂内は三廊式で、イオニア式の柱頭飾りの円柱が並んでいます。

 

 

 アプシスは大理石で模様が描かれています。

 

48. Basilica di Sant'Eustachio 聖エウスタキオ聖堂

Wikimedia Commonsより
Wikimedia Commonsより

 

 ナヴォーナ広場 (Piazza Navona) とパンテオン (Pantheon) との間にある同名の広場に面しています。

 

 起源は初期キリスト教時代にまで遡り、コンスタンティヌス帝により、聖エウスタキオが始めた救済施設の跡に聖堂が建設された時とされています。

 

 12世紀にロマネスク様式で再建されましたが、当時の遺構は脇の鐘楼に残るだけで、1724年以降全面的にバロック様式に改修されています。

 

 聖堂の上端には聖エウスタキオの幻影に現われたとされる、角の間に十字架を掲げた牡鹿の頭部が見られます。

 

 聖堂内は左右両側に礼拝堂が並ぶ、三廊式の小さな聖堂です。

 

 

 中央祭壇にはキリストの磔刑像が掲げられています。

 

 

 

 アプシスには聖エウスタキオが描かれています。天蓋や左右側面の礼拝堂は17世紀の絵もありますが、それ以降の絵画で飾られています。

 

49. Basilica dei Santi Ambrogio e Carlo al Corso 聖アンブロージォと聖カルロ聖堂

Wikimedia Commonsより
Wikimedia Commonsより

 

 ヴェニチア広場からコルソ大通りをポポロ広場に向かって北上し、スペイン広場の前の高級ブランド店が軒を連ねるコンドッティ (Condotti) 通りと交叉した先の左側にあります。

 

 アウグストゥス帝の墓の脇にあたります。

 

 1471年にシスト4世教皇はローマ在住のロンバルド族に、小さな聖堂を与えましたが、4世紀のミラノの最初の司教であった聖アンブロージォに奉献して聖堂を拡張し、1610年に同じくミラノの大司教であったカルロ・ボロメオが列聖されたのを機に、1612年から更に聖堂を拡張したため、現在では非常に大きな聖堂となっています。

 

 ドームはピエトロ (Pietro da Cartona) 1668年の作です。16世紀の宗教改革の時期にクレメンス7世教皇により、多大な贖宥が認められ、多くの特権が与えられています。

 

 聖堂内は三廊式のラテン十字型で、中央内陣の奥に周歩廊があるのは北方で良く見られる建築様式です。

 

 身廊側からはピンク色に見える大理石柱は、側廊側から見ると白黒の横縞模様の大理石で覆われており、上部のアーチまで色大理石が使われており、華やかな石の競演と言えましょう。

 

 中央主祭壇の奥のアプシスはマラッタ (Carlo Maratta) 作「聖母の聖アンブロージォと聖カルロのキリストへのとりなし」です。

 

 

 円蓋にも聖アンブロージォと聖カルロの両聖人が描かれています。

 

 

 両脇には色大理石で飾られた説教壇が見えます。

 

 

 多くの彫像や聖画が飾られ、見ごたえのある華やかな聖堂です。

 

 なお、通常は単に聖カルロ・アルコルソ聖堂 (San Carlo al Corso) と呼ばれています。

 

50. Basilica dei Santi Cosma e Damiano 聖コスマと聖ダミアーノ聖堂

 

 コロッセオ (Colosseo) からヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂に向かい、フォロ・ロマーノ (Foro Romano) に沿ってフォーリ・インペリアーリ (Fori Imperiali) 通りを進むと左手に聖堂の入口が見えてきます。建物はフォロ・ロマーノの一部を構成しています。

 

 526年にフェリクス4世教皇により医療の守護聖人である、聖コスマと聖ダミアーノの双子の聖人を祀り、ロムルスの神殿を聖堂としています。ローマの神殿をキリスト教の聖堂とした最初の例です。

 

 

 16世紀に両聖人の聖遺物が発見された後、聖堂の改築が始まっています。17世紀にクレメント8世教皇は、中央祭壇前の凱旋門アーチと身廊の幅を狭めて、両脇に礼拝堂を設置しています。床を嵩上げし、扉口を西側に設け、漆喰の拱廊を設置しています。

 

 

 中央祭壇には大理石の柱が支える天蓋が置かれ、中央には小さな聖母子画が見えます。

 

 7世紀に描かれた凱旋門アーチのモザイク画は、中央に天の子羊が7本の燭台と4体の天使に挟まれ、外側に4大福音書記者の表象が描かれています。ただし17世紀に幅が縮小された結果、聖マタイと聖ヨハネのみ残っています。

 

 

 アプシスにも色鮮やかなモザイク画があります。中央のキリストは虹色の雲のたなびく中空に浮き、脇侍する聖ピエトロと聖パオロが聖コスマと聖ダミアーノをキリストに紹介し、向かって左脇にはフェリクス4世教皇が聖堂を捧げ、右脇には聖テオドロがビザンティン帝国の貴族の衣装で立っています。

 

 

 その外側に棕櫚の木があり、左の棕櫚の木の上には不死鳥が見えます。下には12使徒の表象である羊が、両脇のエルサレムとベツレヘムから出て中央の天の子羊に向かい描かれています。

 

 

天の子羊の立つ岩の下からは4本の川が流れ出ています。更にその下には半円形に聖歌隊席があります。

 

 天井は見事な格間で飾られていますが、中央には両聖人の絵が、両脇には17世紀に聖堂の改築に携わったバルベリーニ (Francesco Barberini) 枢機卿の紋章と蜂が描かれています。

 

 

 なお、ルッカのドゥオーモにあるヴォルト・サント (Volto Santo=聖顔) と同じように、長い衣を纏ったキリストの磔刑図が見られます。

 

51. Basilica dei Santi Giovanni e Paolo 聖ジョヴァンニとパオロ聖堂

 

 地下鉄B線のチルコ・マッシモ (Circo Massimo) 駅の北にある大きなカペナ交差点 (Piazza Porta Capena) から、サングレゴーリオ (San Gregorio) 大通りに沿う一段高い細道を北上し、クリヴィオ・ディスカウロ (Clivio di Scauro) 通りに右折すると左手に聖ジョヴァンニとパオロ聖堂広場があります。

 

 

 または、コロッセオ (Colosseo) の入口裏手にあるクラウディア (Claudia) 通りを東南に向かい、広い交差点のラルゴ・サニタミリターレ (Largo Sanita Militare) から右折してドラベラ門 (Arco di Dolabella) を通り抜け、道なりに進むと右手に見えてきます。

 

 362年に聖ヨハネと聖パオロが殉教した土地に建立された聖堂です。1084年にノルマン人による略奪で破壊された後に12世紀にロマネスク様式で再建されています。当初の聖堂の遺構が一部見られます。

 

 

 六層に重なるロマネスク様式の鐘楼はクラウディウス (Claudius) 帝の神殿跡に建設されており、大理石や陶磁器で飾られています。

 

 

 正面扉口前の前廊はイオニア式円柱が支えています。

 

 

 前廊の上に見える5個のアーチは当初の建物の遺構です。2頭のロマネスク様式のライオンが扉口の両脇に控えています。

 

 

 当初聖人が埋葬されたとされる場所には、聖堂内にそれを示す表示板があります。中央主祭壇の下にはその石の上で斬首されたとされる石の他、聖人の聖遺物が祀られています。

 

 

古代ローマの部屋のフレスコ画 (Wikimedia Commons より)
古代ローマの部屋のフレスコ画 (Wikimedia Commons より)

 

 なお、聖堂の地下にローマ帝国時代の広大な屋敷跡が発掘されており、ローマ神話に基づくフレスコ画や初期キリスト教時代の絵を見ることができます。

 

 

52. Basilica dei Santi Quattro Coronati 聖クアットロ・コロナーティ聖堂

 

 聖ジョヴァンニ・インラテラノ大聖堂の北側の広場から、狭い聖クアットロ・コロナーティ (Santi Quattro Coronati) 通りを西に向かうと左手に見えてきます。

 

 

 聖ジョヴァンニ・インラテラノ大聖堂をローマの有力貴族の攻撃から守る目的で造られた城砦に起源を持ちます。4世紀頃に聖堂となり、9世紀にレオン (Leone) 4世教皇により拡張されましたが、11世紀に戦禍に遭い破壊され、12世紀になってパスカル (Pascal) 2世教皇により単廊式の聖堂として改築されました。その後修道院として使用されてきました。

 

 

 扉口の上の塔は9世紀に建設された鐘楼で、対面は旧聖堂の正面に当たります。

 

 

 扉上のティンパヌムには女子修道院時代のフレスコ画が残されています。

 

 

 聖堂内は三廊式ですが、パスカル2世教皇時代の単廊式の聖堂を、身廊と側廊とに分けたために中央祭壇奥のアプシスが異常に幅広く見えます。

 

 聖堂の名称となっている4人の聖人とは誰を指すのか定説はありません。

 

 レオン4世教皇時代の地下聖堂には四個の石棺が並び、銀製の聖遺物容器には聖セバァスティアンの頭骸骨が収容されています。

  なお、聖クラウディオ、聖カストリオ、聖プリスクスなどの聖人の聖遺骸が収容されています。

 

53. Chiesa di Sant'Ivo alla Sapienza 聖イヴォ・アッラサピエンツァ聖堂

 

 ナヴォナ広場 (Piazza Navona) 南側のムーア人の噴水からパンテオン (Pantheon) に向かうと左側にあります。

 

 サピエンツァ宮の中庭にボッロミーニ (Francesco Borromio) によって建設され、20世紀初めまでローマ大学として使用されていました。

 

 正面は凹面で、両脇が手前にせり出しており、扉口はその中央に在ります。六個の三角形からなる六角形が円に内接する華麗なドームは四葉形に膨らんでおり、その上の尖塔は凹面で構成されています。

 

 

内部 (Wikimedia Commons より)
内部 (Wikimedia Commons より)

 

 凹凸が繰り返されており、その上に円柱形の尖塔が幾重にも重なり、頂塔を支えています。非常に印象的な形状をした聖堂です。

 

   聖堂の前庭が回廊になっています。

54. Chiesa di Santo Spirito in Sassia サッシア聖霊聖堂

 聖ピエトロ大聖堂からサンタンジェロ城に向かい、途中のセポルクロ (Sepolcro) 通りで右折すると正面に見えてきます。

 

 この地域はザクセン出身の人々が居住し、貧民救済を行っていた地域であったことからサッシアと呼ばれるようになったと言われています。

    ローマに巡礼に訪れるイングランド人のために、8世紀に建設された聖堂です。

 

 1527年に簒奪された後に、サンガーロ (Sangallo=子) により再建されますが、完成前に逝去しています。16世紀末にシスト5世教皇の命により、サンガーロの設計を基にルネサンス様式で完成されています。そのためシスト5世教皇の紋章が聖堂の正面前の扉の上に飾られています。

 

 聖堂内は三廊式の華やかなバロック様式です。

 

 

 中央祭壇奥のアプシスの円蓋には中央に聖霊の表象の鳩が光り輝き、上にはキリストと聖ピエトロ、洗礼者ヨハネが多くの天使、聖人と共に描かれています。

 

 

 天井は格間で細やかな細工が施されています。

 

 

 両側面には、左右5ヵ所に礼拝堂が並び、右手最初の礼拝堂にはズッキ (Iacopo Zucchi) 作「聖霊降誕」が、次いで、アグレスティ (Livio Agresti) 作「受胎告知」があります。

 

 

 左手二番目の礼拝堂にはネビア (Cerare Nebia) 作「聖母戴冠」など16世紀の画家による大きなフレスコ画が掲げられています。

 

 

 聖堂の正面に向かって左手にスピリト (Spirito) 通りを進むと、ヴィットリア・エマヌエーレ2世橋まで、聖堂に接して大きな建物があります。

 

 

 12世紀に建設された聖霊聖堂(Santo Spirito in Saxia)の遺構で、中央には八角形の塔が載り、扉口の両脇にはアーチが並ぶ長い前廊が続いています。

 

 

 ローマ市内から聖ピエトロ大聖堂に向かうと、テヴェレ川を渡る前からその存在が判る大きな聖堂で、巡礼者には遥か遠くから堂々とした建物が見えたことと思います。

 

55. Chiesa di San Pantaleo 聖パンタレオ聖堂

Wikimedia Commonsより
Wikimedia Commonsより

 

 サンタンジェロ城西側のヴィットリオ・エマヌエーレ2世橋でテヴェレ (Tevere) 川を渡り、同名の大通りを南下し、聖パンタレオ広場まで進むと聖堂の正面に出ます。

 

 

 聖堂内は三廊式です。

 

 

 中央祭壇奥の斑岩で造られたアプシスには、聖ジョゼッペの見上げる先に天使の捧げる聖母子画の入った額がある浮彫が飾られています。

 

 

 天井には多くの天使と聖母が描かれ、バロック様式の聖堂です。

 

 

 両側に2ヵ所ずつ告解の部屋が置かれているのが眼を引きます。