ローマ Roma_1

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Roma コンスタンティヌスの凱旋門 (Arco di Costantino)
Roma コンスタンティヌスの凱旋門 (Arco di Costantino)

 永遠の都ローマ、はいつ訪れても期待を裏切ることはありません。

 

 

 夏には夏の、冬には冬の趣がありますし、晴々とした高揚する気持ちの時でも、悩み打ちひしがれた時でも、ローマは私たちを快く迎えてくれます。

 

 

 時空を超えて存在する聖堂を訪れ、静寂の中に身を置く時、時間の流れは止まってしまいます。

 

Roma フォロ・ロマーノ (Foro Romano)
Roma フォロ・ロマーノ (Foro Romano)
Roma コロッセオ (Colosseo)
Roma コロッセオ (Colosseo)

ローマ Roma_1

  1. Baptistery San Giovanni in Laterano   サンジョヴァンニ・インラテラノ洗礼堂

  2. Chiesa Nuova  ヌオヴァ聖堂

  3. Chiesa di San Carlo alle Quattro Fontane  聖カルロ・クアットロフォンターネ聖堂

  4. Basilica di San Clemente   聖クレメンテ聖堂

  5. Basilica di San Crisogono    聖クリソゴノ聖堂

  6. Chiesa del Domine quo vadis  聖クオヴァディス聖堂

  7. Chiesa del Gesù  聖ジェス聖堂

  8. San Giovanni Battista dei Fiorentini 聖ジョヴァンニバティスタ・デイフィオレンティニ聖堂

  9. Basilica di San Giovanni in Laterano 聖ジョヴァンニ・インラテラノ大聖堂

 10. Chiesa di San Gregorio al Celio  聖グレゴリオ・アルチェリオ聖堂

 11. Basilica di San Lorenzo fuori le Mura  聖ロレンツオ・フオリレムーラ聖堂

 12. San Lorenzo in Lucina  聖ロレンツオ・インルチーナ聖堂

 13. San Lorenzo in Panisperna 聖ロレンツオ・インパニスペルナ聖堂

 14. Chiesa di San Luigi dei Francesi 聖ルイージ・デイフランチェージ聖堂

 15. Chiesa di San Marcello al Corso 聖マルチェロ聖堂

 

 

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 16. Basilica di San Paolo fuori le mura   聖パオロ・フオリレムーラ聖堂

 17. Chiesa di San Pietro in Montorio   聖ピエトロ・インモントリオ聖堂

 18. Basilica di San Pietro in Vincoli  聖ピエトロ・インヴィンコリ聖堂

 19. Basilica di San Pietro in Vaticano    ヴァティカンの聖ピエトロ大聖堂

 20. Chiesa di Santo Stefano Rotondo  聖ステファノ・ロトンド聖堂

 21. Basilica di Santa Cecilia in Trastevere  聖チェチリア・イントラステヴェレ聖堂

 22. Mausoleo di Santa Costanza  聖コスタンツァ霊廟

 23. Basilica di Santa Croce in Gerusalemme  サンタクローチェ・インジェルサレンメ聖堂

 24. Chiesa di Santa Maria in Via (Madonna del Pozzo)  サンタマリア・インヴィア (マドンナ・デルポッゾ)聖堂

 25. Chiesa di Santa Maria dell'Orto  サンタマリア・デロルト聖堂

 26. Santa Maria ad Martyers  (Pantheon) サンタマリア・アドマーターズ聖堂 (パンテオン神殿)

 27. Basilica di Santa Maria degli Angeli e dei Martiri   サンタマリア・デリアンジェリ聖堂

 28. Santa Maria dei Miracoli e Santa Maria in Montesanto サンタマリア・デイミラコリ聖堂とサンタマリア・インモンテサント聖堂

 29. Basilica di Santa Maria del Popolo  サンタマリア・デルポポロ聖堂

 30. Chiesa di Santa Maria Della Pace  サンタマリア・デラパーチェ聖堂

 

 

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 31. Chiesa di Santa Maria dell’Anima  サンタマリア・デラニマ聖堂

 32. Basilica di Santa Maria in Aracoeli  サンタマリア・インアラチェリ聖堂

 33. Basilica di Santa Maria in Cosmedin  サンタマリア・インコスメディン聖堂

 34. Basilica di Santa Maria in Domnica   サンタマリア・インドムニカ聖堂

 35. Basilica di Santa Maria in Trastevere  サンタマリア・イントラステヴェレ聖堂

 36. Basilica di Santa Maria Maggiore  サンタマリア・マッジョーレ聖堂

 37. Basilica di Santa Maria sopra Minerva  サンタマリア・ソープラミネルヴァ聖堂

 38. Basilica di Santa Prassede   聖プレッセーデ聖堂

 39. Basilica di Santa Pudenziana  聖プーデンツィアーナ聖堂

 40. Basilica di Santa Sabina  聖サビーナ聖堂

 41. Chiesa della Trinità dei Monti     トリニタ・デイモンティ聖堂

 42. Basilica di Sant'Agnese fuori le Mura  サンタニェーゼ・フオリレムーラ聖堂

 43. Chiesa di Sant'Agnese in Agone  サンタニェーゼ・インアゴーネ聖堂

 44. Chiesa de Sant'Agostino  聖アゴスティーノ聖堂

 45. Basilica dei Santi Bonifacio e Alessio   聖アレッシオ聖堂

 

 

以下は「ローマ Roma_4」にページ移動します。  

 

 46. Basilica di Sant'Andrea della Valle  聖アンドレア聖堂

 47. Chiesa di Sant'Anselmo all'Aventino   聖アンセルモ聖堂

 48. Basilica di Sant'Eustachio   聖エウスタキオ聖堂

 49. Basilica dei Santi Ambrogio e Carlo al Corso   聖アンブロージォと聖カルロ聖堂

 50. Basilica dei Santi Cosma e Damiano   聖コスマと聖ダミアーノ聖堂

 51. Basilica dei Santi Giovanni e Paolo   聖ジョヴァンニとパオロ聖堂

 52. Basilica dei Santi Quattro Coronati  聖クアットロ・コロナーティ聖堂

 53. Chiesa di Sant'Ivo alla Sapienza   聖イヴォ・アッラサピエンツァ聖堂

 54. Chiesa di Santo Spirito in Sassia  サッシア聖霊聖堂

 55. Chiesa di San Pantaleo 聖パンタレオ聖堂 

 

1. Baptistery San Giovanni in Laterano サンジョヴァンニ・インラテラノ洗礼堂

 

 サンジョヴァンニ・インラテラノ大聖堂の洗礼堂で、コンスタンティヌス帝により建設されています。

 

 初期キリスト教時代の洗礼は全てこの洗礼堂で施行されましたが、現在では記念式典が行われるだけとなっています。

 

 432年シクスタス (Sixtus) 3世教皇により斑岩の八本の支柱が支える八角形の建屋に改築され、現在に至っています。

 

 

 上部の柱廊は16世紀に追加されています。この洗礼堂の構造・形態が各地に存在する洗礼堂の基本となっています。中央には大きな潜水式の洗礼盤があります。

 

 

 洗礼堂には洗礼者ヨハネの礼拝堂(閉鎖中)、福音書記者ヨハネの礼拝堂(閉鎖中)、聖ルフィーナと聖セクンダの礼拝堂、聖ヴェナンティオの礼拝堂と四ヵ所に礼拝堂があります。

 

 聖ルフィーナと聖セクンダの礼拝堂は当初は洗礼堂の扉口でしたが12世紀に礼拝堂に変更されています。

 

 矩形の礼拝堂の両脇には5世紀のモザイク画が見られます。

 

 

 7世紀にヨハネ4世教皇により建設されたヴェナンティオ礼拝堂にはビザンティン様式のモザイク画があります。細面のキリストは両脇に天使を従え、色彩豊かな虹色の空を背景に祝福のポーズ を示しています。

 

 

 下には聖母がオラント のポーズで立ち、両脇には聖ペテロ、聖パウロ、洗礼者ヨハネ、福音書記者ヨハネの他聖職者が脇侍しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[関連URL]

 

公式Webサイト

http://www.battisterolateranense.it/

昔の写真・絵画などのスライドショーで、当時の様子が分かるので一見の価値あり。

 サイトをGoogle 翻訳で日本語訳すると、なんとなく雰囲気は分かったような気になります。

2. Chiesa Nuova ヌオヴァ聖堂

 

 サンタンジェロ城の西側にあるエマヌエーレ2世橋でテヴェレ (Tevere) 川を渡り、コルソ通りを南下すると同名の大きな広場に出ます。

 

 12世紀にサンタマリア・ヴァリッチェッラ (Santa Maria Vallicella) 聖堂として建設されました

 

 オラトリオ派の開祖、フィレンツエの聖フィリッポ・ネリ (San Filippo Neri) は当時のグレゴリー13世教皇により1575年に修道会として認証を得ました。

 

 教皇は16世紀に吹き荒れた宗教改革運動に対抗して、聖フィリッポ・ネリを支援し、ローマでの布教活動の根拠地としてこの聖堂を与えています。

 聖堂が完成したのは1605年でした。そのため新聖堂 (Chiesa=教会、聖堂、Nuova=新) と呼ばれています。

 

 

 聖堂正面には扉口が三ヵ所あり、コリント式の四本の太い円柱が宗教改革運動への屈強な対抗を表現している印象を与えます。

 

 上層階の壁龕には聖人の立像が納められています。

 

 聖堂内は三廊式で、両脇には礼拝堂が並びます。

 

 

 アプシス にはルーベンス (Pietro Paolo Rubens) 作「聖母子と天使」が掲げられ、その両脇にも「聖ドミティラ、聖アキレオと聖ネレオ」、「聖グレゴリオ、聖マウロと聖パピア」が掲示されています。

 

 

 聖フィリッポ・ネリは聖堂内を簡素なものにすることを求めましたが、聖人の死後、コルトーナ (Pietro da Cortona) により、天井や周壁はバロック様式で、多くのフレスコ画 や絵画で埋め尽くされています。

 

 

 天井には「聖フィリッポ・ネリの幻影」を、ドームの四隅にはイザイア、エレミア、エゼキエル、ダニエルの預言者を描いています。

 

 

 左翼廊の礼拝堂には16世紀のマニエリストのバロッキ (Barocci) の絵が飾られています。

 

 カラヴァッジョ (Caravaggio) 作「キリスト降架」も含まれていましたが、現在はヴァティカンに収容されています。

 

 

 カラヴァッジョの作品としては、聖ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂に収容されている三部作が有名です。

 

3. Chiesa di San Carlo alle Quattro Fontane 聖カルロ・クアットロフォンターネ聖堂

 

 9月20日通りとクアットロ・フォンターネ通りの交差点の南西にあります。

 

 16世紀にミラノから来た聖カルロ枢機卿 (Cardinal Carlo Borromeo) に奉献して1634/8年にフランチェスコ・ボッロミーニ (Francesco Borromini) が建設しています。

 通称、聖カルリーノ (Carlino) 聖堂と呼ばれています。バロック様式の聖堂は市内の限られた土地に建設されることが多く、特に聖堂の正面は人目を引く装飾になっている場合が多く見られます。

 

 聖堂正面は30年後に完成されましたが、凹面や凸面を駆使した小さな聖堂です。扉口は前面にせり出し、二本のコリント式柱頭飾りの円柱が上層部にまで伸び、両脇の円柱が凹面から波打っています。上層階の壁龕には三体の立像が並び立っています。その上のバルコニー部分も大きく波打っています。

 

    バロック様式のバロックとは、「歪んだ真珠」を意味する装飾関係の用語で、美術・建築に使われた当初は、曲がっていて、ねじれていて普通ではない、と言った意味合いを持っていました。

 現在では17世紀のローマを中心に発達した美術・建築様式を指す名称となっています。ボッロミーニによって建設されたこの聖堂は、正に歪んでいる、バロック様式そのものと言えましょう。

 

 聖堂内には四ヵ所に礼拝堂が配置され、楕円形の天井は八角形と六角形が十字形を取り巻き、中央の楕円形の空間に向かって徐々に小さく配置されて行くことで、天井が限りなく高く見え、天空に吸い込まれて行くような幻想を持たせています。

 

 聖具室はドーリア式の柱と凸凹の面が見事な調和を見せています。中にはボルジャーニ (Orazio Borgianni) 作の「聖カルロ」の絵が飾られています。

 

4. Basilica di San Clemente 聖クレメンテ聖堂

 

 コロッセオ (Colosseo) から、裏手のサンジョヴァンニ・インラテラノ (San Giovanni in Laterano) 通りを進むと左手に見えてきます。なおそのまま進むとサンジョヴァンニ・インラテラノ大聖堂に出ます。

 

  聖堂は、4世紀の初期キリスト教徒の自宅を四代目の聖クレメント教皇に奉献した建物から始まります。ローマでも一番古い聖堂の一つです。

 

 正面扉口にはイオニア式の円柱と門に付けられたコリント式の円柱で出来た柱廊式小玄関を渡ると12世紀に柱廊式中庭である聖堂前の回廊に出ます。この形態はローマでも数少ない例です。左側には17世紀初頭に建設された鐘楼が見えます。

三層に渡る建造物の複合体で、現在地上で見えているのは12世紀に建設されたロマネスク様式の聖堂です。その下に4世紀からの建屋があり、その建物は共和制ローマ時代の建屋の上に建っています。

 

平面図(Wikipediaより)
平面図(Wikipediaより)

 聖堂内は三廊式で、床は色大理石で飾られています。天井と壁は18世紀に改修されていますが、中央祭壇前の聖歌隊席は身廊の中央まで張り出しており、6世紀の聖堂を活用しています。ローマの聖堂の中でも初期の聖堂の遺構が良く維持されている聖堂の一つです。

 

 アプシスの上の円蓋は豪華なモザイク画で飾られています。金地の中央にキリストの磔刑が描かれ、十字架内には12使徒を表象する鳩が、両脇には聖母と福音書記者ヨハネが立っています。

 

 十字架の下から延びるシダ模様の草が円形を描きながら全面を覆い、間には天使、聖職者、鳥、鹿、花が散りばめられて天国を表しています。

 

 最上段には4大福音書記者の表象が描かれ、中央にはキリストの聖顔が見えます。また最下段には両脇のエルサレムとベツレヘムから出て、中央の天の子羊に向かう12使徒を表象する12頭の羊が描かれています。

 

 扉口左手の聖カテリナ礼拝堂には「カテリナの生涯」、「キリストの磔刑」等、14世紀のフレスコ画が有りますが、この聖堂では真新しい作品のように見えてしまいます。

 

 下にある4世紀の聖堂には右手の階段を利用して入ります。

 

 聖堂の扉口の前にはナルテックスがある三廊式の聖堂でしたが、地上の聖堂を支えるために、身廊に壁を追加しているので、四廊式のようになっています。

 

 多くのフレスコ画は11世紀から12世紀のものですが、一部9世紀のものもあります。

ミトラ(Mithras)の神殿 (Wikipediaより)
ミトラ(Mithras)の神殿 (Wikipediaより)

 更に聖堂から階段で下ると、ミトラス (Mithras) 信仰を示す神の像が飾られた神殿を含む、広い空間が開けています。神殿前には生贄を奉じる祭壇が残っています。ローマ時代に設置された水道も一部見えます。

 

 聖ジョヴァンニとパオロ聖堂と同様に地下に広大なローマ遺跡がある聖堂です。

 

 → 聖ジョヴァンニと パオロ聖堂 (ローマ)

関連URL

 

公式Webサイト(英文) http://basilicasanclemente.com/eng/

 

 実際に行った気分になれるヴァーチャルツアーはこちら↓

 http://basilicasanclemente.com/eng/index.php/tour/virtual-tour

 

 こちら↓は一分半ほどのビデオですが良くできています。

 http://basilicasanclemente.com/eng/index.php/tour/video

5. Basilica di San Crisogono 聖クリソゴノ聖堂

Basilica di San Crisogono (Wikimedia Commonsより)
Basilica di San Crisogono (Wikimedia Commonsより)

 

 テヴェレ川をガリバルディ橋で渡ってトラステヴェレ地区に入り、橋のたもとのベッリ (Belli) 広場の次にあるソンニーノ (Sonnino) 広場に面した聖堂です。

 

 テルミニ駅からのバスで訪れると停留所があるので便利です。

 

 テヴェレ川に沿う地域は、ローマ市内のなかでも早くから開けた地域で、それだけに地下に歴史が埋設されている地域と言えます。

 

内部の写真 (Wikimedia Commonsより)
内部の写真 (Wikimedia Commonsより)

 

 初期キリスト教時代の聖堂ですが、鐘楼は12世紀に建設され、17世紀に正面が再建されています。

 

 聖堂内のアプシスには「聖母戴冠」のモザイク画があります。床のモザイク画は昔の建物から発掘されたもので、聖堂の地下の発掘により5世紀頃のフレスコ画や絵画、洗礼盤が見つかっています。

 

 聖遺物として、聖クリソゴノの頭部と腕の一部、聖十字架の一部、キリストの頭髪などが納められています。

 

 

 

6. Chiesa del Domine quo vadis 聖クオヴァディス聖堂

 

 ローマ市街を囲む城壁を聖セバスティアーノ (San Sebastiano) 門から出ると、マイルを示す第1の石柱が右側に見えます。そのままアッピア (Appia) 街道を約600m進むと、左側に聖堂が見えて来ます。

 

 右手には地下墓地 (Catacombe) への道があります。歩いても行けますが、地下鉄聖ジョヴァンニ・インラテラノ駅からバスもあります。聖堂を更に進むと多くの地下墓地 (Catacombe) が続き、約2km先には聖セバスティアーノ聖堂(San Sebastiano)があります。

 道端にある、小さな、伝承にまつわる聖堂です。

 ネロ皇帝の時代の紀元64年にローマは大火に見舞われます。ネロ帝は、都市計画実行のために皇帝が放火したとの噂を払拭するため、原因を追及することなく、キリスト教徒の仕業に転嫁し、キリスト教徒に対して大規模な迫害を始めます。

 

 聖ペテロはこの迫害から逃れるためにローマを後にします。この地に差し掛かった時、キリストに出会い、「主よ、どこに行かれるのですか」(Domine Quo vadis?) と尋ねると、キリストは「お前の見捨てたローマに」と答えたとの言い伝えが残されています。

 

 この言い伝えから聖堂の名前が付けられています。

 

 聖堂内には足で柔らかな粘土を踏んだ跡の様にへこんだ石が置かれています。キリストの足型とされます。片方だけですが、かなり大きな足跡です。

 

7. Chiesa del Gesù 聖ジェス聖堂

 

 ヴェネチア広場からコルソ通りに向かい一本目のプレヴィシト (Plebiscito) 通りを左折すると左側に見えて来る大きな聖堂です。

 

 聖堂と同名の広場がありますが、聖堂全体を見越すことはできません。

 

 ローマで初めてのイエズス会の聖堂として、宗教改革に対抗して1568年~84年に建設されました。

 

 聖堂正面はジャコモ (Giacomo della Porta) 1575年の設計で、ルネサンス様式からバロック様式への過渡期的な構造となっており、その後の聖堂建築に大きな影響を与えています。かつてはイエズス会聖堂のスタイルと言われたこともありました。

 

 高さも幅もあるため、中央に載るドームが見えないほどです。

 

 扉口は三ヵ所あり、各扉口には2本の片蓋柱が添い、両脇の扉口上の壁龕には聖人の立像が見えますが、中央扉口の上にはIHS (Hの中央横棒の上に十字架が立つ) の文字が大きく掲げられているのが印象的です。

 

 聖堂内部にもこのIHSの文字を多く見ることになります。

 

IHSについて

 ギリシャ語のイエス「Ιησούς 」のラテン文字転写「Ihsouz」の最初の3文字「IHS」を取ったという説と、ラテン語で「人類の救い主イエス」( Iesus Hominum Salvator ) の頭文字を取ったという説があります。

 なお、聖堂名の「Gesù」はイタリア語で「イエス」のことです。

 

 聖堂内は三廊式ですが、身廊の幅が非常に広いため、扉口から中央主祭壇を見渡すと単廊式のように見えます。

 

 宗教改革に対抗して建設された時代を背景に、中央祭壇は多くの信徒が祝福を受けられるよう、どこからも見渡せるように配置され、説教壇も信徒に良く聞こえるように身廊の中間に設置されています。讃美歌の反響も音響効果が計算されています。

 

 1571年にカソリック教の国であるイスパニアのフェリッペ2世国王の海軍がレパントでの海戦で、イスラム教の国、オスマントルコに勝利しました。

 

 また、フランスではカソリック教の国のブルボン王朝が成立し、カソリック教が再確立され、法王座の再確認ができました。

 

 このように、17世紀には身廊・礼拝堂・ドームや柱にフレスコ画・色大理石・金箔・石像・銅像など、バロック様式で豪華に装飾が施され、華やかになっています。

 

 

 中央祭壇にはアントニオ・ラッギ (Antonio Raggi) 作「降誕」が掲げられていますが、円蓋の「子羊の礼拝」では輝く黄金の子羊と多くの天使・聖人が描かれています。

 

 

 天井はバチッチャ (Baciccia) 1679年作「キリストの勝利」のフレスコ画で、IHSの文字が天空に輝き、信徒を天国に誘っています。

 

 

 左翼廊の聖イグナチオ礼拝堂はアンドレア・ポッゾ (Andrea Pozzo) 1696年~1700年の作ですが、聖人墓碑があり、ピエール・レグロ (Pierre Legros) 作、聖人の立像が飾られています。元の像はナポレオンに税を支払うため、ピウス6世教皇が溶解しています。

 

 

 布教活動の末1552年、中国で死去した聖フランチェスコ・サヴェリオ (San Francesco Saverio) の礼拝堂や、聖母像 (Madonna della Strada)、旧約聖書を題材としたフレスコ画やだまし絵等、煌びやかな色彩に溢れています。

 

8. San Giovanni Battista dei Fiorentini 聖ジョヴァンニバティスタ・デイフィオレンティニ聖堂堂

 

 サンタンジェロ城の西側にあるヴィットリオ・エマヌエーレ2世橋でテヴェレ (Tevere) 川を渡り、コルソ通りに入って初めての交差点を右に曲がると正面に見えてきます。

 

 聖堂の前には聖堂と同名の広場があります。

 

 

 扉口が三ヵ所あり、正面にはイオニア式の太い柱が並ぶがっしりとした大きなバロック様式の聖堂です。

 

 後ろにはドームも見えています。扉口脇と上層階の壁龕には立像はありません。

 

 

 聖堂内は三廊式で、両脇には祭壇が並んでいます。

 

 

 中央祭壇の奥のアプシスは白大理石と赤い斑岩の柱で縁取られ、洗礼者ヨハネによって洗礼を受けるキリストの彫像が飾られています。

 

 

 左右にも大理石像が飾られていますが、天井や身廊上壁には絵画は無く、多くは色大理石を使用した装飾となっており、バロック様式の聖堂としては地味な装飾です。

 

 

 扉口の上にはオルガンがあります。

 

 正面左手の祭壇には左足型をした、マグダラのマリアの聖遺物容器が安置されています。このように聖遺物容器自体が、収容している聖遺物の内容を指し示している場合があります。

 

9. Basilica di San Giovanni in Laterano 聖ジョヴァンニ・インラテラノ大聖堂

 

 地下鉄A線のサンジョヴァンニ駅から城門を抜けると聖堂前の広場に出ます。右手にはスカラ・サンタ (Scala Santa=聖なる階段) が見えます。

 

 312年10月28日、コンスタンティヌス帝はマクセンティウスとの戦いに勝利してローマに凱旋し、313年にはキリスト教の信仰を公認し、翌年キリスト教の最初の聖堂として建立された最古の聖堂です。

 

 1870年まで法王の即位式が施行されました。

 

 2度の火災に遭い、都度再建されてきましたが、当初の形態を保っています。

 

 正面の右手に隣接するラテラノ宮殿はコンスタンティヌス帝の時代から、1309年のアヴィニオンの捕囚まで教皇の公式な住居でした。

 

 

 聖堂正面は18世紀ガリレイ (Alessandro Galilei) の作になるバロック様式で、屋上には中央にキリスト、両脇に洗礼者ヨハネと福音書記者ヨハネ他、8体の巨大な聖人の彫像が並び、扉口の右手には聖年時のみに開く聖なる扉があります。

 

 

 聖堂は五廊式で、扉口の左側にはコンスタンティヌス帝の立像が見え、ボッロミーニ (Borromini) が作成した身廊の壁龕には12使徒の大きな彫像が並び、右手側廊にはジョット (Giotto) 作に帰属するボニファティウス3世教皇のフレスコ画があります。

 

 

 身廊中央の教皇の主祭壇には、14世紀にゴシック様式で造られた天蓋があります。

 

 

  アプシスには大きなモザイク画があり、中央の十字架の下には流れ出る水を飲む鹿がおり、左側には聖母、聖ペテロ、聖パウロ、それに聖フランシスコが小さく描かれています。

 

 右側には洗礼者ヨハネ、福音書記者ヨハネ、聖アンドリュー、と小さくパドヴァの聖アントニオが描かれています。

 

 

 見上げる先には虹のたなびく天空にキリストの聖顔が描かれています。

 

 

 聖堂の天井は平格子で、1562年のピウス4世教皇の時代に造られ、1567年にピウス5世教皇により完成しています。

 

 

 18世紀にはピウス6世教皇より改修されていますが、各教皇の煌びやかな紋章が飾られています。教皇の墓碑もあります。

 

 聖堂の右手の扉口は1586年にドメニコ・フォンタナ (Domenico Fontana)により、法王が広場に集まった民衆に祝福を与える場として追加されたものです。

 

 

 

【参考】

聖遺物「キリストの聖画像 (Uronica: ウロニカ)」の行進

 

 聖ジョヴァンニ・インラテラノ大聖堂の歴代の大司教により蒐集され、サンクタ・サンクトラムと呼ばれる礼拝堂に収容されていた聖遺物は非常な数に達していました。「キリストの聖血」、「キリストが磔刑に処せられたときに被らされた荊の冠の刺の一部」、「聖十字架の欠片」、「聖母の衣の一部」、「使徒の聖遺骨の一部」などの聖遺物は他の聖堂でもその一部を収容している場合も有り、飛び抜けてローマの民衆や、諸外国からの巡礼者をひきつけるだけの魅力がある聖遺物とは言えないものでした。

 

 しかし、四大福音書記者の聖ルカが天使の力を借りて描いたとされる、「キリストの聖画像」(Uronica: ウロニカ)は別格の聖遺物でした。

 

 この「キリストの聖画像」を掲げてローマ市内を行進する行事は7世紀末のセルギウス (Sergius)1世教皇の時代に始まり、8世紀半ばのステファン (Stephan)2世教皇の在位中には恒例行事となっています。9世紀初めのレオ (Leon)3世教皇の在位時に、8月14日の夜中に聖ジョヴァンニ・インラテラノ大聖堂を出発した「キリストの聖画像」は、聖クアットロ・コロナーティ聖堂から、コロッセウム (Colosseum)、サンタマリア・ノヴァ聖堂、聖アンドレア聖堂を経由して、15日の明け方にサンタマリア・マジョレ聖堂に到着すると言う、日時と行程が確定しています。教皇は「キリストの聖画像」を肩に担いで行進しました。

 

 1215年に開催された第4回ラテラノ公会議にで採択された規範の第62章は、「聖遺物は決して容器から取り出して展示したり、売買したりしてはならない」と決定しています。その結果、聖遺物は聖遺物容器に閉ざされることになり、インノチェント (Innocento)3世教皇は「キリストの聖画像」を銀に塗金して浮彫細工を施した箱に入れ、聖顔が見えるだけにしています。

 「キリストの聖画像」の大部分が隠蔽されたことで、この行進に典礼行事としての威厳を持たせる効果が出てきています。

 

10. Chiesa di San Gregorio al Celio 聖グレゴリオ・アルチェリオ聖堂

 

 地下鉄B線のチルコ・マッシモ (Circo Massimo) 駅の北にある大きなカペナ交差点 (Piazza Porta Capena) から、サングレゴーリオ (San Gregorio) 大通りに沿う、一段高くなっている細道を北上すると、丘の上に見えてきます。

 

 言い伝えによると、この地にあった聖グレゴリウス教皇の自宅を聖堂に改築したとのことで、ここから多くの聖人が伝道活動に出かけて行きました。

 

 イングランドのカンタベリー大聖堂には初代大司教の聖アウグストゥスを始め、代々の大司教が派遣されています。

 

 聖堂は12世紀にロマネスク様式で改築された後、17世紀と18世紀に現在のバロック様式に改築されています。

San Gregorio al Celio (Rome) 内部 (Wikimedia Commonsより)
San Gregorio al Celio (Rome) 内部 (Wikimedia Commonsより)

 

 聖堂内の中央南側には15世紀制作の聖グレゴリウス教皇の礼拝堂があります。その他13世紀のフレスコ画も見られます。

 

11. Basilica di San Lorenzo fuori le Mura 聖ロレンツオ・フオリレムーラ聖堂

 

   テルミニ駅の東側で、大学都市の奥にあるので、公共交通手段としてはバスを利用することになります。

 テルミニ駅からバスで訪れる場合には聖堂前にバスの停留所がありますが、行きと帰りとでは停留所の場所が異なりますので、地元の人に照会することをお勧めします。

 

    聖堂前の広場には高い石柱の上に鉄網を持った聖ロレンツオの石像が載っています。

 

 

 

   235年ウァレリアン(Valerian)皇帝により殉教した聖ロレンツオの墓が在った地はコンスタンティヌス帝が330年に聖堂を建設させるまでに、すでに多くの巡礼者が詣でる聖地となっていました。 その後聖堂は荒廃しましたが、6世紀にペラギウス(Pelagius)2世教皇により改築されています。また、8世紀には拡張されています。

 

  13世紀になって、ホノリウス(Honorius)3世教皇により、ペラギウス2世教皇の時代の聖堂を内側に取り込み、そのアプシスを無くして西方向に倍の長さに延長した大きな聖堂に改築されています。この時にぺラギウス2世教皇の聖堂全体を嵩上げして、全体を新聖堂の内陣としています。

    その度追加されたバロック様式の装飾は1855年ピウス(Pius)9世教皇により、除去され、元の姿に戻されました。

    第2次世界大戦で一部破壊されましたが、聖堂の扉口前の前廊を含めて元の資材を活用して復元され、13世紀の姿に戻っています。

   聖堂右手の鐘楼は12世紀にロマネスク様式で建設されましたが、地震により破損したことで、14世紀に再建されています。

 

   聖堂の正面はホノリウス2世教皇時代に建設され、聖ロレンツオの生涯や聖ステファヌスの生涯がフレスコ画で描かれています。

 

 

    聖堂内は三廊式で、イオニア式の柱頭飾りの有る太い円柱が並び、床は色大理石で模様が施されています。

 

   扉口から中央祭壇を見通すと、凱旋門アーチが見え、中央に聖母が玉座に座し、両脇に天使が見えます。その下に祭壇が在りますが、6世紀と13世紀の聖堂が繋ぎ合わされたことが、良く分かります。

 

聖堂に入ってすぐ右側にある石棺は、イノチェント4世教皇の従兄弟のフィスキ(Guglielmo Fischi)枢機卿の墓で、なぜか、結婚式の行列の浮彫があります。

 

 

 前廊の右端には4世紀と思われる石棺が置かれており、旧約聖書と新約聖書を題材とした浮彫で飾られています。

 

 

 

 

 扉口の左側には、葡萄の房を持つ天使や鳥、動物、果物、野菜などが浮彫にされた5世紀から6世紀頃の石棺が置かれています。

 

 扉口の両脇の下にはロマネスク様式のライオンの石像があります。

 

 

   身廊の両脇に説教壇があります。

 右手の13世紀初頭に設置された緑や赤の色大理石で飾られた、ひと際大きな説教壇は新約聖書を基に説教を行うときに使用し、左手の地味な大理石の説教壇は13世紀の後半になってから設置されたもので、使徒書簡を読み解くときに使用されます。

 

 

 中央内陣となっているペラギウス2世教皇の聖堂は、当初は単廊式で扉口の前には前廊がありましたが、ホノリウス2世法王教皇が前廊を含めて両脇に拡張したことにより、三廊式の幅になっています。

 

 この拡張部分にある階段を上がって行くことになります。ペラギウス2世教皇時代の聖堂の扉口部分には13世紀製の大理石製で金縁のある豪華な教皇の椅子が設置されており、この位置から見ると、ペラギウス2世教皇時代の聖堂の全貌が分かると共に、遠くに現在の聖堂の扉口が見えます。

 

 

   ペラギウス2世教皇の聖堂の中央には1148年に設置された、赤い斑岩で造られた四本柱の円蓋があり、この形式では最古の部類に属しています。

 

 

 

 

 その上の凱旋門アーチには、地球に座すキリストの左側に聖ペテロ、聖ロレンツオ、聖堂を捧げるペラギウス2世法王が、右側には聖パオロ、聖ステファヌス、聖ヒポリトゥスが、モザイク画で描かれています。

 

 

  両脇に並ぶ円柱の柱頭飾りにはロマネスク様式で良く見られるアーカンサスも有りますが、ローマ帝国時代の兵士の鎧とその脇には乙女が彫られているものもあります。

 

    左手に火炙りの刑に処せられた聖ロレンツオが網をもって立つ石像が見えます。

 

    地下聖堂には聖ロレンツオ、聖ステファヌス、聖ユスティアヌスの各聖人の聖遺物が祀られています。

 

 

    その他にも、聖ロレンツオが鉄網の上で火炙りにされて殉教した際に使用された鉄網など、聖ロレンツオに関連する聖遺物が収納されています。

 

 

 19世紀になって、ピウス9世教皇により、ペラギウス2世教皇時代の聖堂の地下の一部が発掘されています。

 

    なお、ピウス9世教皇の墓所もあります。

 

12. San Lorenzo in Lucina 聖ロレンツオ・インルチーナ聖堂

  

    ポポロ(Popolo)広場からヴェネチア(Venezia)広場まで、ローマ市内を東西に二分するコルソ(Corso)大通りにある古い聖堂です。

 ローマの多くの聖堂の中でも一番古い聖堂の一つに数えられています。ローマ神話の女神ジュノーの泉があった場所にキリスト教徒が集まったことを起源とするとされています。

 

   ルチナ女神の神殿跡に11世紀初頭にセルギリウス3世教皇により、聖ロレンツオに奉献して建立された聖堂です。

 

    聖堂の地下にはローマ帝国時代の遺跡があります。

  

    12世紀に再建されましたが、正面柱廊の柱はローマ帝国時代の円柱でイオニア式の柱頭飾りが施されています。

 

 簡素な破風や、右手の鐘楼に、ロマネスク様式の面影が強く残されています。

 

 

 

 扉口には小さなライオンがうずくまっています。

 

 

 聖堂の地下にはローマ時代の遺跡があります。

 

 

 聖堂内部は17世紀に改修し、更に19世半ばにはバロック様式に改修されて、両脇に礼拝堂を追加したことで、初期のバシリカ様式は完全に無くなっています。

 

 

 中央祭壇上にはグイドレイニ (Guido Reini) 作「キリストの磔刑」が掲げられています。

 

 

 天井は平格子です。

 

 

 右側の2番目と3番目の礼拝堂の間の柱にはフランス人画家のニコラ・プーサン (Nicolas Poussin) の墓碑があります。

 

la Cappella Fonseca (写真中央)
la Cappella Fonseca (写真中央)

 

 左写真中央のフォンセカ礼拝堂 (la Cappella Fonseca:Cappella dell'Annunziata受胎告知礼拝堂とも呼ばれる)にはベルニーニ (Gian Lorenzo Bernini)作のフォンセカの胸像(Busto di Gabriel Fonseca)があります。

 

Eliseo purifica le acque del fiume di Gerico (1664) di Giacinto Gimignani
Eliseo purifica le acque del fiume di Gerico (1664) di Giacinto Gimignani

 

フォンセカの胸像の反対側の壁にはジミニャーニ (Giacinto Gimignani)1666年作の「Eliseo purifica le acque del fiume di Gerico (予言者エリセオがジェリコ川の水を浄化)」があります。

13. San Lorenzo in Panisperna 聖ロレンツオ・インパニスペルナ聖堂

 

 テルミニ駅前からカヴール通りを西南に向かい、途中で、パニスペルナ(via Panisperna)通りに入ると、右側の丘の上に見えてきます。

 通りから階段を登って入ることになります。聖堂の前庭の前に門扉がありますが、通常は閉鎖されています。

 聖ロレンツオが殉教した場所とされ、ピウス1世法王により、デキウス帝の宮殿の遺構の上に建設されたとされています。なお、聖ロレンツオが火炙りの刑で殉教した際に使用された鉄網が聖遺物として収納されています。

Martyrdom of St Lawrence by Pasquale Cati (Wikimedia Commonsより)
Martyrdom of St Lawrence by Pasquale Cati (Wikimedia Commonsより)

 

 主祭壇後方にパスクワーレ・カティ(Pasquale Cati)作「聖ロレンツォの殉教」のフレスコ画があります。

14. Chiesa di San Luigi dei Francesi 聖ルイージ・デイフランチェージ聖堂

 

 ナヴォナ広場 (Piazza Navona) からパンテノン (Pantheon) に向かいサンタジョヴァンナ・ダルコ通り (via Santa Giovanna d’Arco) を過ぎると同名の広場に出ます。

 

 1518年に、後のクレメント (Clement) 7世教皇となるジュリオ・デメディチ (Giulio de Medici) 枢機卿により建設が始められました。

 

 その後、フランス王アンリ2世、3世王の資金援助を受け、1589年にバロック様式で建設されました。

 

 フランスの守護聖人を祀る聖堂です。

 

 建設には、ジャコモ (Giacomo Della Porta) やドメニコ (Domenico Fontana) が携わっています。

 

 柱は華麗なフランスのフランボワイヤン様式です。

 

 扉口は3ヵ所あり、左右の壁龕には王と聖人の立像が納められています。

 

 フランソワ1世の火を吹くサラマンダーの紋章が見られます。

 

 

 聖堂内は4本の柱が並ぶ三廊式に見えますが、左右に礼拝堂が並ぶ五廊式で、中央祭壇奥のアプシスには「聖母被昇天」が描かれています。

 

 

 金箔が多く用いられ、フランス国王の百合の紋章も金箔であちこちに飾られています。

 

 

 天井は1754年作で聖ルイの栄光を表しています。フランスの著名人が多く埋葬されています。バロック様式に18世紀には色大理石や多くの絵画、フレスコ画で飾り立てられました。

 

 

 右側二番目の聖チェチリアの礼拝堂にはドメニキ-ノ (Domenichino) 1614年作、「聖チェチリアの生涯」の連作が見られます。

 

 

 

 

 左側廊の五番目の聖マタイの礼拝堂にはカラヴァッジョ (Caravaggio) の三部作、「聖マタイの召し出し」(Vocazione di San Matteo)、「聖マタイの殉教」(Martirio di San Matteo)、「聖マタイと天使」(San Matteo e l’angelo)が並んで収容されています。

 

 

 これらのカラヴァッジョの絵を目当てに大勢の観光客が訪れる聖堂です。

 

15. Chiesa di San Marcello al Corso 聖マルチェロ聖堂

 

 ヴェネチア広場からコルソ通りを北上し、2本の通りを過ぎると右側にある小さな広場がサンマルチェロ広場で、聖堂の扉口に面しています。

 

 4世紀に聖堂が建設された時には、コルソ通りを更に北に進み、現在の中央郵便局の場所にあったとされています。後のマルチェロ1世教皇がマクセンティウス帝により、ロ-マを救うように命じられたと言われている場所です。

 

 1519年に火災により焼失した後、ヤコボ・サンソヴィノ (Jacopo Sansovino) により、現在地に建設されました。

 

 聖堂正面は緩やかな凹面になっており、コリント式の太い円柱が何本も重なっているように見え、重厚な印象を与えていますが、1682年にカルロフォンタナ (Carlo Fontana) がバロック様式で改修したことによります。

 

 

 入口の上には聖マルチェロが法王に推挙されている浮彫があり、上層部には左右に2体ずつ彫像が配置されています。

 

 

L'interno (Wikimedia Commonsより)
L'interno (Wikimedia Commonsより)

 

 聖堂内は単廊式ですが、コリント式の柱が並び、左右には礼拝堂があります。聖具室にはヴァン・ダイク (Van Dyck) 作に帰属する、「キリストの磔刑」があります。

 

 また、礼拝堂には1519年の大火災の際に燃え落ちた聖堂の灰の中から発見された、キリストの磔刑像もあります。