ヴィニョーラ Vignola

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Vignola_城 (Rocca di Vignola)の外観
Vignola_城 (Rocca di Vignola)の外観

 ヴィニョーラ (Vignola)は、エミリア・ロマーニャ州 (Emilia-Romagna)モデナ県 (Provincia di Modena)にある都市である。

 

【アクセス】

 モデナ (Modena)の東南25kmに位置します。しかしモデナから直通の鉄道はありません。

 

 東隣のボローニャ (Bologna)からは30kmほど離れていますが、直通の電車があります。ヴィニョーラが終着駅で、1時間ほどかかります。

Vignola_城 (Rocca di Vignola)内部
Vignola_城 (Rocca di Vignola)内部

【歴 史】

 ヴィニョーラが歴史に登場するのは、モデナの東北にあるノナントーラの修道院 (Abazzia di Nonantola)の記録からで、9世紀初めに修道院を護る目的で砦が造られたことによります。

 

 修道院の領地として13世紀半ばまで続きました。その後ローマ法王側と神聖ローマ帝国皇帝側との抗争を経て、15世紀初めから16世紀の半ばまで、フェッラーラ (Ferrara)のコントラーリ (Uguccione de'Contrari)家の支配下に入ります。

 

 その後現在のグレゴリー暦を決めたことで有名なグレゴリー13世法王の非嫡出子のジャコモ・ボンコンパーニ (Giacomo Boncompagni)に譲渡され、ナポレオンによる征服までボンコンパーニ家の領有が続くことになります。

 

 ナポレオンの没落後、ウィーン体制でモデナのエステ公の領地となり、その流れで、現在もモデナ県に属しています。

 

 三か所が矩形で一か所が円柱形の高い櫓を構える方形の強固な城 (Rocca di Vignola)があります。12世紀には建設されており、ルネサンス期にはコントラーリ家により宮殿として整えられています。

 

 聖堂内には見事な礼拝堂のほか、15世紀のフレスコ画も鮮やかに残っており、文化が花開いていたことが伺われます。外観も美しい城で、内装も丁寧に管理されており、市民に開放されています。

Vignola_城 (Rocca di Vignola)内の礼拝堂
Vignola_城 (Rocca di Vignola)内の礼拝堂

【町を歩く】

 駅から旧市街までは600mほどで、城をめがけて行けば分かりやすいと思います。落ち着いた清潔な町です。

 

 旧市街は狭い範囲ですから、ボローニャからの日帰りで見て回れます。

 

 なお、ヴィニョーラの町を有名にした人物として、バロッツィ (Jacopo Barozzi da Vignola)を挙げることができます。

 16世紀を代表するイタリアの建築家で、ルネサンス様式をその後の欧州の建築に大きな影響を与えた建築家としてパラーディオ (Palladio)と双璧をなしています。

 

 バロッツィの代表的な建築物として、ローマのイエズス会の大本山であるジェス (Gesu)聖堂、アッシジ (Assisi)にあるサンタマリア・デリ・アンジェリ聖堂 (Santa Maria degli Angeli)、ボローニャの町の中心の広場にある聖ペテローニオ (San Peteronio)聖堂とバンキ宮 (Palazzo dei Banchi)、ピアチェンツァの博物館になっているファルネーゼ宮 (Palazzo Farnese)、ヴィッテルボ (Viterbo)近郊のカプラローラ (Caprarola)にあるファルネーゼ離宮 (Villa Farnese) など、枚挙にいとまがありません。

 

1. Santi Nazario e Celso 聖ナザロと聖チェルソ聖堂

 

 駅前からベルッチ通り (Via Giovanni Battista Bellucci)で東に向かい、市役所 (City of Vignola)の正面で右折してトレント・トリエステ通り (Via Trento e Trieste)を進み、太いイタリア通り (Corso Italia )に突き当たり、右折してすぐの狭いジュゼッペ・ガリバルディ通り (Via Giuseppe Garibaldi)に左折すると旧市街に入ります。

 

 1ブロック進むと左側に聖堂があります。なお、そのまま進むと城 (Rocca di Vignola)の前の広場 (Piazza dei Contrari)に出ます。

 

 1416年にコントラーリ家の初代当主のウグチオーネにより建設されています。

 

 その後ヴィニョーラ出身の建築家ペリーニ (Zaccaria Pellini )の設計で1687年から改築工事が始まりましたが中断されており、1792年になって再開されて、1842年に完成しています。

 

 なお、正面は1889年に新古典様式で装飾されています。

 

 入口は三か所で、中央入口の両脇のコリント式柱頭飾りのある太い円柱が切妻屋根を支えています。

 

 聖堂内は三廊式です。

 

 中央主祭壇には両聖人の殉教の場面が描かれた絵が掲げられており、上には両聖人を迎える神が描かれています。

 

 

 ドームの四隅には福音書記者が、中央には正天使と邪悪な天使の闘争が描かれています。 

 

 

 右側廊には聖母と聖アントニオと聖フランチェスコ、福音書記者ヨハネ、聖ナザロと聖チェルソの礼拝堂があります。

 

 

 左側廊には聖母と聖人、洗礼盤の奥には東方三王の礼拝など、16世紀のボローニャ派の作品がかけられています。