ラヴェンナ Ravenna_1

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Ravenna  テオドリック王の墓 (Mausoleo di Teodorico)
Ravenna テオドリック王の墓 (Mausoleo di Teodorico)

 ラヴェンナ (Ravenna)は、エミリア=ロマーニャ州ラヴェンナ県の県都である。

 

 古代ローマ時代から中世にかけて繁栄した都市で「ラヴェンナの初期キリスト教建築物群」は世界遺産に登録されている。

 

アクセス

 ローマから鉄道を利用すると、リミニ (Limini)で乗り換えてラヴェンナに行くか、ボローニャ (Bologna)まで行ってフェッラーラ (Ferrara)経由でラヴェンナに入ることになります。ボローニャから1時間半程です。

 

 駅は町の東端にあります。 駅前から町の中心に向かい、西に約600m進むとポポロ広場 (Piazza del Popolo)に出ます。聖堂の多くは西側にありますので、このポポロ広場を起点として、徒歩で十分回ることができます。ただし町を貫く長い道が少なく、道の名前も交差する毎に変わりますので、良く確認しながら進むことが肝心です。 

 

Ravenna  王宮跡
Ravenna 王宮跡

歴 史

 ローマ帝国の領土が広域に渡り、多くの民族を抱えることになった後、広大な領土を統治していくにあたり、テオドシウス帝はローマ帝国を二分して統治する政策をとりました。

 

 395年にテオドシウス帝が死去すると、ローマ帝国は完全に東西に分離し、西ローマ帝国のホノリウス帝はミラノを首都とし、東ローマ帝国はコンスタンティノープルを首都としました。

 

 後に西ローマ帝国は戦略上の問題で、首都をラヴェンナに移しています。476年、遂に西ローマ帝国は滅亡しています。その後侵略者のテオドリック (Theodric)王の支配する都となり、更にはビザンティン帝国の総督府が置かれます。歴史を考えるのに最適な町と言えます。

 

 

Ravanna  サン・マーマ門 (Porta San Mama)
Ravanna サン・マーマ門 (Porta San Mama)

  なお、地理的な重要性が少なかったことから、歴史から忘れ去られ、そのことが町の保存には有益だったと言えましょう。

 

 ラヴェンナはポー川がアドリア海にそそぐ河口域の湿地帯に造られた町です。陸上から大勢の軍隊が侵略するには地盤が悪く、海上から攻撃するには大型の艦船が入って来られないと言う戦略面から造られた町でした。ラヴェンナの地盤は弱く、多くの建物が地盤沈下で埋没の憂き目に遭っています。

 

 

 ラヴェンナの東、アドリア海に面した地には、アウグストゥスの時代に、アドリア海を支配するための艦隊の寄港基地が置かれていました。

 

 

 

町を歩く

 平らで小さな町ですから、色々な道を散策するのもまた良いかと思います。

 

 城壁で囲まれた町で、一部に城壁の跡が見られます。6ヶ所残る門を見て回るのもまた一興です。なお、テオドリック王の宮殿跡は町中の聖アポリナーレ・ヌオヴォ聖堂の脇にありますが、墓は駅から1km程離れており、鉄道線路の東側にあります。

Ravenna  ダンテの霊廟
Ravenna ダンテの霊廟

 ダンテがこの地で死去したことから、ダンテの霊廟にも多くの観光客が訪れています。

 

 

その他の情報

 イタリア政府観光局公式サイト

 ラヴェンナの初期キリスト教建築物群

 

 ラヴェンナ公式観光サイト (英語)

 

 

 「JAPAN-ITALY Travel On-line」「イタリア小都市ガイド」ラヴェンナ Ravenna モザイクが輝く、歴史香る町

 

 「イタリアふれあい街歩き」「エミリア・ロマーニャ」「ラヴェンナ県」「PDFファイル:ラヴェンナ←(リンク先は「PDFファイル」なので、右クリックして「名前を付けてリンク先を保存」を選択してダウンロード後、PDFリーダー(Acrobat Reader等)で好みのサイズにして読むのが良いでしょう。

 

 

ラヴェンナのモザイク画オーバービュー (約4分)
YouTube「Ravenna Mosaici - Opera di Religione della Diocesi di Ravenna」より

 

 

ラヴェンナ Ravenna_1

 

 1. Duomo ドゥオーモ

 2. Battistero degli Ariani アリアーニ洗礼堂 (アリウス派の礼拝堂)

 3. Battistero Neoniano ネオニアーノ洗礼堂 (アタナシウス派の礼拝堂)

 4. Cappella Arcivescovile di Sant'Andrea 聖アンドレア礼拝堂

 5. San Domenico 聖ドメニコ聖堂

 6. San Francesco 聖フランチェスコ聖堂

 7. San Giovanni Battista 洗礼者ヨハネ聖堂

 8. San Giovanni Evangelista 聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ (福音書記者)聖堂

 9. San Nicolò 聖ニコロ聖堂

10. San Vitale 聖ヴィターレ聖堂

11. Santa Barbara 聖バルバラ聖堂

 

 

以下は「ラヴェンナ Ravenna_2」にページ移動します。

12. Santa Croce 聖十字架聖堂

13. Mausoleo di Galla Placidia 皇母ガッラ・プラチディア霊廟 (聖ロレンツォ礼拝堂)

14. Santa Maria del Suffragio サンタマリア・デル・スッフラジオ聖堂

15. Santa Maria in Porto サンタマリア・インポルト聖堂

16. Santa Maria Maddalena サンタマリア・マッダレーナ聖堂

17. Santa Maria Maggiore サンタマリア・マッジョーレ聖堂

18. Sant'Agata Maggiore 聖アガタ・マッジョーレ聖堂

19. Sant'Apollinare in Classe 聖アポリナーレ・インクラッセ聖堂

20. Sant'Apollinare Nuovo 聖アポリナーレ・ヌオヴォ聖堂

21. Sant'Eufemia 聖エウフェミア聖堂

22. Santo Spirito サントスピリト聖堂

 

1. Duomo ドゥオーモ

 

 町の中心のポポロ広場 (Piazza del Popolo)の北側を西へ、サンティ・ムラトリ通り (Via Santi Muratori)を進み、突き当たりをXXセッティンブレ広場 (Piazza XX Settembre)に左折、通りの名前がメンターナ通り (Via Mentana)と変わり、ラウル・ガルディーニ (Raul Gardini)と交差すると、グイドネ通り (Via Guidone)と変わります。そのまま南下すると、カドゥーティ・ペル・ラ・リベルタ広場 (Piazza Caduti per la Liberta)に出ます。

 そこから西に進むと、アルチヴェスコヴァド広場 (Piazza Arcivescovado)の公園の奥に見えてきます。

 西ローマ帝国がミラノからラヴェンナに首都を移した際、5世紀初めにネオン (Neone)司教により建設されていたウルシアナ(Ursiana)聖堂を基に、首都にふさわしい聖堂を建設したとされています。

 

 9世紀から10世紀にかけて聖堂は再建されています。左手にある鐘楼は10世紀に造られましたが崩壊し、各時代の修復が混合しています。

 聖堂はその後崩壊し、現在の聖堂は1737年にジャンフランチェスコ (Gianfrancesco Buonamici)により、再建されました。聖堂正面の柱廊は10世紀の遺構の一部で、入口脇にはピンクの御影石の柱とギリシャの大理石の柱が見られます。

 

 ラテン十字形の交差廊に載るドームは当初8角形でしたが、1780年にジョゼッペ (Giuseppe Pistocchi)により、楕円形に変更されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラヴェンナ公式観光サイト Ravenna Tourism (英語)

Cathedral or Basilica Ursiana

開館時間などが出ています。

Ravenna Duomo  内部 (Wikimedia Commonsより)
Ravenna Duomo 内部 (Wikimedia Commonsより)

 聖堂内は三廊式で、12本の柱が両脇に並んでいますが、フレスコ画や浮彫は17世紀から18世紀に制作されています。翼廊の左手にある礼拝堂にはレーニ (Guido Reni)1620年作のフレスコ画が飾られています。

 

Sarcofago di San Barbaziano  聖バルバツィアーノの石棺 (Wikimedia Commonsより)
Sarcofago di San Barbaziano 聖バルバツィアーノの石棺 (Wikimedia Commonsより)

 皇母ガーラ・プラチディアの20年来の友であった、神学者で証聖者の聖バルバツィアーノの石棺の他、5世紀の聖リナルドゥスの石棺やマクシミアン大司教の聖遺物が収納された石棺など多くの石棺が置かれています。

 

 なお、石棺は聖堂の壁に接続させて置かれるために、浮彫は三面に施されるのが通常ですが、ラヴェンナの石棺はエジプトやシリアの影響を受けて、四面に浮彫がなされています。

 

 5世紀以降ラヴェンナでは聖ピエトロや聖ペテロなどの人物が浮彫にされることは無くなり、十字架などの表象が刻まれることになります。また蓋が蒲鉾型になっているのも特徴です。

 

 

 説教壇は6世紀のアグネッリョ司教時代のもので、ギリシャの大理石製で、魚・孔雀・羊・鹿・鳩などの浮彫がみごとです。

2. Battistero degli Ariani アリアーニ洗礼堂

 

 ラヴェンナ駅前のロータリーからファリーニ通り (Viale Farini)に入り、ローマ通り (Via di Roma)に突き当たって、右折して北に向かい、最初のベアトリーチェ・アリギエーリ通り (Via Beatrice Alighieri)との交差点を左折し、直ぐのアリアーニ通り (Via degli Ariani)に左折すると左側に見えてきます。

 ポポロ広場 (Piazza del Popolo)と駅の中間地点にあたります。

  隣接するアリウス派の聖霊教会 (451年建設)の洗礼堂として、東ゴート王国のテオドリック王により建立されています。

 

 325年、コンスタンティヌス帝の下、ニカイアで最初のキリスト教の公会議が開催され、三位一体論が正式に採用された結果、アリウスは異端として追放されました。その後アリウスは呼び戻され、正統とされたアタナシウスが追放されるという混乱が続いています。

 

 

 381年のコンスタンティノープルでの公会議 (テオドシウス帝)で、再びアリウスは異端とされました。しかしながら、3世紀半ば以降ゲルマン諸族に広く伝播していたのは異端とされたアリウス派でした。

 

 西ローマ帝国を滅ぼしたテオドリック王はアリウス派を信仰していましたが、信仰の自由を認め、ローマ法王と互いに権威を認め合い、特に宮廷内では正統派のアタナシウス派との勢力均衡に配慮していたのが特徴です。

 

 内部の直径は6.75~6.85mで、高さは8.5mありますが、地盤沈下の結果、現在では2m以上埋没していますので、高さで76%相当になっています。

 天井に残るモザイク画の他に、建屋の内面にもモザイク画で飾られていたと思われます。8角形はアタナシウス派の礼拝堂 (Battistero Neoniano) と同様です。

 

 中央のキリストは若く、右手に洗礼者ヨハネが立ち、上から聖霊が降りて来て清めの水を注いでいます。左手に座る老人は擬人化されたヨルダン川で、脇に置かれた革の鞄から川が流れ出ています。頭には蟹の爪が描かれ川と海の神を表しています。

 周囲の12使徒は十字架の飾られた空の御座に向かい行進しています。リズミカルに見えますが、使徒の動作は単一的で、姿も硬直化しているように見えます。御座の右手の聖ペテロは鍵を持ち、左手の聖パウロは2巻の律法を持っています。

 

 

 

Ravenna公式観光サイト Ravenna Tourism (英語)

Arian Baptistery

開館時間等が記載されています。

3. Battistero Neoniano ネオニアーノ洗礼堂 (アタナシウス派の礼拝堂)

 

 大聖堂の付属洗礼堂です。

 

 初期キリスト教では、3世紀頃から洗礼の儀式が始まります。4世紀以降は、聖堂の建物近くに洗礼用の建屋が建設されるようになります。当初の洗礼堂は円形、矩形、多角形とその形態は多様で、決まった形をしていませんでした。

 

 後に、ローマの聖ジョヴァンニ・インラテラノ聖堂の洗礼堂がモデルとなって、八角形の洗礼堂が一般的になっています。八角形は、旧約聖書の創世記の天地創造の7日間に、復活の1日を加えた象徴的な数を表すとされます。

 

 直径12m、高さ14.6mあり、ウルスス (Ursus)司教が、近接する大聖堂の洗礼所として385年頃に建設しています。

 5世紀半ばのネオン (Neone)司教の時代に、今まで木造だった天井を石造にしてドーム型の屋根とし、現在の高さに持ち上げましたが、地盤沈下で現在では3m埋没しており、当時の入口は埋没しています。

 浸水型の洗礼であったため、巨大な洗礼盤が中央に設置されています。  

 天井にはモザイク画があり、中央の円内にはキリストの洗礼が描かれ、周囲には12使徒が殉教者の王冠を奉持して行進しています。

 左手に洗礼者ヨハネが立ち、キリストを洗礼している所ですが、頭上からは聖霊が下って来ています。右手の水の中の人物はヨルダン川の表象です。

 

 洗礼者ヨハネが右手に持つ聖体皿と左手に持つ長い十字架、さらに光輪は19世紀半の追加とされます。キリストと洗礼者ヨハネの顔も修復された可能性があります。

 使徒の向かう方向に一貫性はなく、キリストの足元には聖パオロと聖ペテロが向かい合っています。なおその他の使徒像の脇に名前が書かれています。

 その周囲には空の御座と祭壇が4ヶ所ずつ対称位置に配置されて描かれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラヴェンナ公式観光サイト:「Ravenna Tourism(英語)

Neonian Baptistery

開館時間、入館料金などが出ています。

 

4. Cappella Arcivescovile di Sant'Andrea 聖アンドレア礼拝堂

 

 ドゥオーモに接続した建物ですが、入口は別で東側にあります。

 

 東ゴートが支配していた時代、494年から519年頃、ペテロ2世司教が私的な礼拝堂として建立しています。マクシミアン司教により、聖アンドレアに奉献されています。現在では大司教博物館 (Museo Arcivescovile)の一部となっています。

 

 小さな礼拝堂内は6世紀の見事なモザイク画で飾られています。

 

 入口上の蒲鉾型天井には、金色の天空に数多くの鳥が薔薇の花と百合の花の中に描かれ、ライオンと蛇の上に立ち十字架を担ぐ、若いキリストが半円形天井部分を埋めています。

 ギリシャ十字形の祭壇上には青空に星が輝き、中央に金色の十字架が描かれています。

 

 その上には無髭の若いキリストが、聖ペテロ・聖パウロ、など十二使徒に挟まれて描かれています。

 中央天井には、四体の天使がキリストの表象のXPを捧げ、その間に四大福音書記者の表象が金色の天空の中に描かれています。

 

 十二使徒の他に、聖人の絵も見られます。

 なお、大司教博物館には浮彫の施された石棺や動物が浮き彫りにされている柱頭の他に、6世紀のマクシミアン大司教の椅子が収容されていますが、象牙製でキリストや聖母の浮彫が施された、ビザンティン様式の傑作です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公式観光サイト:「Ravenna Tourism」 (英語)

Chapel of Sant'Andrea - Archiepiscopal Chapel

開館時間、入館料金などが記載されています。

5. San Domenico 聖ドメニコ聖堂

 

 ポポロ広場 (Piazza del Popolo)から北に向かう11月4日通り (Via IV Novembre)を進むと、アンドレア・コスタ広場 (Piazza Angrea Costa)に出ます。広場の南西側にあります。

 

 13世紀に建設されています。17世紀末から18世紀にかけて大改築が行われ、入口が一つ、両脇に片蓋柱が天井まで伸び、上に丸窓があるだけの単廊式の小さな聖堂です。

 

 ナポレオンにより廃院とされています。

 

 現在では美術展覧会の会場や、地域文化振興の催し物会場に使用されており、聖堂としての役割は果たしていません。

 

 

6. San Francesco 聖フランチェスコ聖堂

 

 ポポロ広場 (Piazza del Popolo)から南に向かい、リベルタ広場 (Piazza Caduti Per la Liberta)に出ると、東側の通りの奥に聖堂の正面が見えます。聖堂の前にはフランチェスコ広場 (Piazza San Francesco)があり聖堂全体が見渡せます。

 

 460年頃ネオン司教時代に建設され、最初は使徒に奉献されていました。10世紀に再建され、1261年にフランチェスコ派の修道院になっています。この聖堂の当初の床は3.5m下にありました。

 

 入口は一カ所ですが、上には二連の尖塔形窓があります。

 右手にある堅牢な矩形の鐘楼は9世紀の建設で、32.9mあり、二連、三連、四連の尖塔形のアーチ型窓が並んでいます。

 

Interno (Wikimedia Commonsより)
Interno (Wikimedia Commonsより)

 聖堂内は三廊式です。

 

 舟形天井は14世紀製の木造で、20世紀になって改修されています。アプシスや壁面にも飾りは残っておらず、簡素な造りです。

Il sarcofago di Liberio III, V secolo (Wikimedia Commonsより)
Il sarcofago di Liberio III, V secolo (Wikimedia Commonsより)

 中央祭壇には4世紀の大司教、聖リベリウスの石棺があります。

 

 その他ビザンティン様式の石棺が置かれています。

La cripta (Wikimedia Commonsより)
La cripta (Wikimedia Commonsより)

 10世紀のクリプトには常時水が溜まっており、下にモザイク画が一部残っているのが見られます。

 

 なお、北隣りにはダンテの霊廟 (Tomba di Dante)があり、観光客が訪れる場所になっています。ダンテは1321年9月14日にラヴェンナ訪問中に死去し、聖フランチェスコ聖堂で葬儀が行われ、埋葬されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公式観光サイト:「Ravenna Tourism(英語)

Basilica of San Francesco

開館時間などが記載されています。

7. San Giovanni Battista 洗礼者ヨハネ聖堂

 

 駅前ロータリーからファリーニ通り (Viale Farini)を西に向かい、左手に広がるシュパイアー公園 (Giardino Speyer)の左側にある聖ジョヴァンニ聖堂 (San Giovanni Evangelista)を過ぎ、ローマ通り (Via di Roma)に右折して進み、ギゼッリ通り (Via Ghiselli)に左折(右側はロッカ・アイ・フォッシ通り Via Rocca Ai Fossi)すると通りの左側に聖堂の左側面が見えて来ます。

 

 大きな聖堂で、10世紀に建設された円柱形の高い鐘楼があります。

 聖堂は6世紀に建設された古いものですが、1688年に地震で崩壊し、その後バロック様式で建設され、正面はピンク色の漆喰で整えられています。

 

 聖堂前の広場から聖堂の正面を見ると煉瓦積みのままの鐘楼とバランスが取れていません。

 

 聖堂内はラテン十字形の三廊式です。

 正面主祭壇にはキリストの磔刑が天井から下げられ、アプシスには聖母子と聖人の絵が見られます。

 身廊の右側には説教壇があり、支えている二本の円柱は建設当初のものです。

 交差廊の天井には聖人を描いたフレスコ画が見られますが、一部剥離しています。

 

 左右側壁に礼拝堂が並び、ロレト (Loreto)の聖母子像も置かれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Notable Buildings in Ravenna (英語)

San Giovanni Battista (英語)

聖堂内部の写真があります。

8. San Giovanni Evangelista 聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ (福音書記者)聖堂

 

 駅前ロータリーからファリーニ通り (Viale Farini)を西に向かい、左手に広がるシュパイアー公園 (Giardino Speyer)の奥に、高い鐘楼が見えています。

 

 皇母ガ-ラ・プラチディア (Galla Placidia)と息子の後の皇帝ヴァレンティニアン (Valentinian)3世と娘が、ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルからラヴェンナに向かう際、海難に遭い、無事を祈願した祈りが成就したことに感謝して奉献した聖堂です。

 

 425年に建立された、ラヴェンナで一番古い聖堂です。

 

 鐘楼は10世紀の建造で、42mの高さがあります。

 全体は、2.8m埋没しており、1213年に床上されています。15世紀に身廊の壁を修復し、16世紀には側壁が改修され、1747年にバロック様式に改修されました。

 

 過去数回にわたり大改修が行われています。第2次世界大戦中は、鉄道の駅が近くにあるために被弾が多く、大きな被害を受けています。

 

 正面の門は14世紀にゴティック様式で建設されていましたが、1960年に修復され、皇母ガ-ラ・プラチディアの伝説が浮き彫りにされています。

 

 聖堂内は三廊式です。

 主祭壇は当初の5世紀のものが残り、アプシスにはモザイク画があったと思われます。

 

 聖堂内の身廊右翼の床に描かれていた、モザイク画の一部が飾られていますが、有翼の怪獣や人面の怪獣など空想上の動物や、二つの尾を掲示する人魚、鶏と狐などのモザイク画は色彩も鮮やかに残っています。

 

 これらは、イタリア国内はもちろん、フランスでもロマネスク時代の建築物によく見られるものです。

 

 その他にも、第4回十字軍 (1202~04)が東ローマ帝国の首都である、コンスタンティノープルを攻撃している様子のモザイク画があり、当時の兵士の鎧や、盾と槍による攻撃方法をうかがい知ることができます。

 

 

 

 

 

Notable Buildings in Ravenna (英語)

San Giovanni Evangelista (英語)

19世紀の全景図などもあります。

 

9. San Nicolò 聖ニコロ聖堂

 ポポロ広場 (Piazza del Popolo)から南に向かい、リベルタ広場 (Piazza Caduti Per la Liberta)に出て、更に南にバッカリーニ通り (Via Alfredo Baccarini)をママ門 (Porta San Mamante)に向かって進むと右手にあります。

 

 現在ではローマ帝国時代からビザンティン様式に至るラヴェンナのモザイクが展示される美術館 (Museo TAMO)となっており、聖堂としての役割を果たしていません。

 

Museo TAMO 公式サイト

http://www.tamoravenna.it/

http://www.tamoravenna.it/museo-tamo-informazioni-orari-apertura-prezzi-biglietti-indirizzo/

開館時間、入場料などが記載されています(伊語:Google翻訳でご覧ください)

10. San Vitale 聖ヴィターレ聖堂

 

 ポポロ広場 (Piazza del Popolo)から北に向かう11月4日通り (Via IV Novembre)を進み、アンドレア・コスタ広場 (Piazza Angrea Costa)で左折して、カミッロ・ベンソ・カヴール通り (Via Camillo Benso Cavour)に進み、二本目のジュリアーノ・アルヘンタリオ通り (Via Giuliano Argentario)に右折し、通りの名前がガッラ・プラチディア通り (Via Galla Placidia)に変わると左手正面に見えてきます。

 

 526年から548年に建設された、初期キリスト教時代を代表する聖堂です。

 

 外観は八角形が二層になったシンプルな構造で、入口の外側に楕円形のナルテックス (玄関間)があります。

 

 聖堂内は二層で、中央祭壇を左右から囲んでいます。

 上部は女性用でした。内側を支える円柱はアーチの迫元には、水を飲む二羽の鳥などの柱頭飾りが見られます。内部は一面モザイクで飾られていますが、12世紀以降破損が進み、現在でも修復が継続されています。

 

 

 聖堂正面の主祭壇の奥のアプシスは三連式の窓があり、その上の金色の円蓋には無髭の若いキリストが青い天空に坐し、上には虹色の雲がたなびいています。

 左手にはヨハネ黙示録の7つの封印が描かれた書簡を持ち、右手には王冠を持っています。

 

 両脇に大天使を従え、その外側の聖ヴィターレに殉教者の王冠を授ける場面です。右のエクレシウス司教 (6世紀初)は献じた教会を持っています。

 

 キリストの足元から4本の川が流れ出て、花咲く平原になっています。

 主祭壇の側面、向かって左側、南西面には、ビザンティン帝国のユスティニアヌス帝が聖職者・宮廷人・兵士を従えた巨大なモザイク画があります。

 

 中央に聖体皿を持つユスティニアヌス帝の右に、十字架を持つマクシミアン大司教、更に右の司祭が聖書を持ち端の助祭が香炉を持っています。

 

 

 皇帝の右奥は東ゴート王国を征服したベリサリオ将軍と思われます。

 

 3列に並ぶ近衛兵はP・Xの盾を持ち、コンスタンティヌス帝に続くキリスト教国家であることと、ビザンティン帝国の権威の下に教会が存在することを示しています。

 右側、北東面にはテオドア皇妃が随臣・侍女を従えたモザイク画が描かれています。

 

 皇妃の豪華な服には、キリスト降誕に駆け付けた3人のマギの刺繍が見えます。皇妃は酒杯を持ち、後ろに続くのはベリサイオ将軍夫人と娘、と言われています。

 

 

 皇妃に先立つ従者はカーテンを持ちあげて、奥の泉を示しています。

 

 

 なお、実際には皇帝も皇妃もラヴェンナには行幸していません。

 中央内陣には旧約聖書からのモザイク画が並んでいます。

 

 

 

 左側には子牛を捧げるアブラハムに息子の誕生を伝える天使、端に驚く妻のサラ、中央の3人の天使を饗宴するアブラハム、イサクを供犠するアブラハム、生贄を制止する天の手、そして生贄の羊が描かれています。

 

 凱旋門アーチには左手に預言者エレミアが、右手に天から戒律を受けるモーセ、その間に十字架を掲げる二体の天使が描かれています。

 右側には羊を掲げるアベルとパンを捧げる預言者メルキセデク、食卓上のパンとワイン、天からは神の手、脇には、左に燃える森に入るモーセ、右に巻物を持つ預言者イザヤが描かれています。

 

 

 最上部は四大福音書記者がその表象と共に描かれています。

 

 

 

 

 天井には星空に浮く神の子羊を豊穣の果実の輪が囲み、それを四人の天使が捧げ持っています。

 一番手前のアーチ型側面には天頂にキリストが、周りに使徒が描かれています。

 

 ドームの天井の絵は1780年のもので、床は16世紀に洪水の恐れから床上げされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公式観光サイト:「Ravenna Tourism(英語)

Basilica of San Vitale (英語)

開館時間、入場料金等が記載されています。

 

11. Santa Barbara 聖バルバラ聖堂

 

 聖アポリナーレ・ヌオヴォ聖堂 (Sant'Apollinare Nuovo)の前の広場の北端にあり、ローマ通り (Via di Roma)に面した切妻屋根の小さな聖堂です。

 12世紀初頭に建設され、1513年には聖フランチェスコ会の修道院となっていました。ナポレオンにより他の聖堂に合併させられた後、廃院とされました。

 

 現在、聖堂としての役割は果たしていません。