フィデンツァ Fidenza

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ローマ時代の遺跡発掘現場 (Piazza Grandi)と聖ドンニーノ門 (Porta di San Donnino)
ローマ時代の遺跡発掘現場 (Piazza Grandi)と聖ドンニーノ門 (Porta di San Donnino)

 フィデンツァ (Fidenza)は、エミリア=ロマーニャ州パルマ県 (Parma)の町。以前はボルゴ・サンドンニーノ (Borgo San Donnino)と呼ばれていた。

 

 

アクセス

 フィデンツァから鉄道で東に進むと15分ほどでパルマ (Parma)に至ります。西に進むと隣り街はフィオレンツォラ (Fiorenzuola)で、Piacenza (ピアチェンツァ)には25分程かかります。

 駅は街の北にあり、街の中心までは500mほどです。小さな街ですから、歩いて十分廻ることができます。

 

歴 史

 ローマの軍事基地としての古い歴史がありますが、都市として建設されたわけではなかったので、ローマ時代の遺跡は多くはありません。

 

 主に歴史に登場するのは12世紀以降で、イタリアの北部の都市がローマ法王側についた自治体と神聖ローマ帝国皇帝側についた自治体とで抗争が繰り広げられていたときです。

 

 神聖ローマ帝国皇帝側についたフィデンツァはローマ法王側のパルマとの抗争が絶えませんでした。街がパルマにより破壊されると、神聖ローマ帝国の支援で1221年には復興しています。1248年には神聖ローマ帝国皇帝フレデリック2世がパルマを八か月間包囲したことがありました。 

Fidenza 市庁舎
Fidenza 市庁舎

 しかし、皇帝が戦場を離れた隙を突かれて皇帝側が敗走した時に、皇帝はフィデンツェに避難しています。

 その後街は自治体として自立した時もありましたが、ミラノ公国の支配下に入るなど、不安定な状況が続いていました。

 16世紀以降はパルマ・ピアチェンツァ公国の傘下に入り、交通の要所として繁栄しました。

 

 フィデンツァの市庁舎は1354年に建設され、屋上の正面には矢来壁が取り付けられた城塞のような造りです。なお、同時代の建設物として、聖ジョルジョ聖堂(1314年:現在は廃墟)と 聖ドンニーノ門(1364年)があります。

 

 

 その他の情報

  フィデンツァと近く(南西に数km)の温泉地「サルソマッジョーレ・テルメ (Salsomaggiore Terme)」情報はこちら↓

 「イタリアふれあい街歩き」「エミリア・ロマーニャ」「パルマ県」「PDFファイル:サルソマッジョーレとフィデンツァ市街

↑(リンク先は「PDFファイル」なので、右クリックして「名前を付けてリンク先を保存」を選択してダウンロード後、PDFリーダー(Acrobat Reader等)で好みのサイズにして読むのが良いでしょう。

 

 

 こちら↓は温泉のバスソルトなどを販売するサイトです。

 イタリアで最も美しい温泉 テルメ・ディ・サルソマッジョーレ

 

 

 Fidenza 駅からシャトルバス(無料)で行けるアウトレット村「Fidenza Village」は良さそうですね。

 公式サイトもいいセンスしてます。

 Fidenza Village 公式Webサイト (英語)

 

 こちらの情報からもFidenzaはとても良さそうな街だということが分かります。

   「JAPAN-ITALY Travel On-line」「私の住む町Travel案内 パルマ Parma」足を延ばすと/近郊編 フィデンツァ・ヴィレッジ Fidenza Village 

 

1. Duomo (San Donnino) 大聖堂

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  駅前のジョエス・カルドゥッチ通り (Via Giosue Carducci)は二手に分かれています。南側の細い道を進むと、右にカーブして南下します。北側の太い道に行かないようにしてください。

 途中コルニニ・マルペリ通り (Via Cornini Malpeli)と交差すると、さらに細いアントニオ・グランシ通り (Via Antonio Gramsci)となります。通りを進み、アゴスティノ・ベレニニ通り (Via Agostino Berenini)に右折してしばらく進むと市庁舎があり、左側に街の中心であるジュゼッペ・ガリバルディ広場 (Piazza Giuseppe Garibaldi)があります。

 

 

 市庁舎を過ぎると、通りの名前はカヴール通り (Via Cavour)と変わり、そのまま進むとグランディ広場 (Plazza Grandi)に突き当たります。

 

 ローマ時代の発掘が行われている場所で、広場を左折すると街の守護神である聖ドンニーノ (San Donnino)を記念して1364年に建設された門 (Porta di San Donnino)があり、そこから大聖堂を望むことができます。大聖堂の前にはドゥオモ広場 (Piazza Duomo)があります。

 

 

 聖堂はロマネスク建築の傑作とされており、正面は多くの浮彫彫刻で飾られています。

 正面には三箇所の入口があり、中央の入口は、柱がアーチ型にせり出してきており、一番前の独立した円柱は聖堂を訪問する人間を威嚇するように口を開けたライオンに支えられています。

 

 その柱頭にはライオンを退治するダニエルの浮彫が施されています。

 

 最前列のアーチの頂点には玉座のキリストと両脇に天使が、左右には十二使徒が配置されています。

 入口の上の楣 (まぐさ)石には聖ドンニーノの生涯を表した浮彫彫刻が施されており、左から、ピアチェンツァに向かう十字架を掲げた聖ドンニーノ、斬首された首を置く聖ドンニ―ノ、聖ドンニーノの魂を運ぶ天使です。

 

 

 左側の柱の上には聖ドンニーノの行進、右側には斬首された首を持つ聖ドンニーノの浮彫彫刻が見られます。

 入口の左側の壁龕には旧約聖書からダヴィデ (David)の立像があり、その上にはキリストの神殿奉献が、さらに上には天使に引率されて入口に向かう三人の富裕者の巡礼者が並び、更にその上にはローマ帝国皇帝マクシミリアンに冠を掲げる聖ドンニーノの姿が見られ、更にその上の花飾りの上には命の水を飲む二羽の鳩とキリストの誕生を伝える天使。聖母子の隣でまどろむヨハネと奉納物を捧げる東方三王の礼拝の浮彫が積み上げられています。

 これらの浮彫の左側には両脇にライオンを抱えるダニエルの柱頭飾りがある半円柱形の柱の上に聖ペテロが立ち、この道を進むとローマに至るという案内を持っています。

 入口の右側の壁龕には旧約聖書の預言者エゼキエル (Ezechiele)の立像があり、その上には聖母子が下を向いた形で彫られています。

 左側と同様に天使に導かれて入口に向かう三人の貧者の巡礼者が並び、その上には倒壊する橋から人を救う聖ドンニーノ、その上の花飾りの上には馬車で天空を飛ぶ旧約聖書の預言者エリア (Elia)の浮彫が見られます。

 

 その上に旧約聖書からエノク (Enoch)が正面を向いて座っています。

 左側の入口は中央の入口より一回り小さいですが、同様にせり出してきており、最前列の柱はライオンではなく、人が肩で支えています。

 その上にはコリント式の頭注飾りがあり、その上には牛の頭がついています。テンパヌムには玉座の聖母子とその両脇に奉納者が崇拝している姿が彫られています。

 上の切妻型の囲みの中には頂点に天の子羊と二羽の鳩。下にシャルルマーニュ大帝とアドリアーノ2世法王に祝福される聖ドンニーノが彫られています。

 右側の入口も左側の入口と同様な造りになっていますが、最前列の柱は羊が支えています。

 柱頭飾りはアーカンサスの間に羊が顔を出しています。アーチ状に羊やライオンが並び、頂点にはグリフォンが向かい合っています。

 左側面にネメアのライオン (Nemean Lion)を退治したヘラクレス (Hercules)がライオンの尾を持ってぶら下げています。

 右側面には羊を抑え込むグリフォンがいます。

 上の切妻型の中にはピアチェンツァの聖ライモンド (Raimondo)が正面を見て座っていますが、なぜかその頂点の上に修道院の屋根に乗りワイン樽を背負う修道僧が載っています。

 

 テンパヌムには神の手の上に十字架を持って竜を退治する大天使ミカエルがいて、アーチ状にアーカンサスの花と二羽ずつの鳩が五個並んでいます。

 左の鐘楼にはヘロデ王と兵士、馬に乗りキリストの元に急ぐ東方の三王の浮彫があります。

 

 右の鐘楼にはグリフォンに引かれる戦車に載り天を飛ぶアレキサンダー大王とその上には激情の物語(Berta)があり、側面に廻って巡礼者の行列が帯状に彫られています。

 聖堂の側面の一部には葡萄を育てる修道僧の浮彫が見られます。

 

 その他にも、壁に背中を付けて柱を支える人、鹿を射るケンタウロス、大きな耳のスフィンクス、猿を載せた馬、大きな口を開けたライオン、グリフォン、などなど、非常に多くの浮彫彫刻が施されていますが、ある程度は内容が解明されているものの、中には意味が不明のものもあるようです。一つ一つ見ていくと興味が尽きません。

 

 これらの浮彫彫刻は12世紀のベネデット・アンテラミー (Benedetto Antelami)(注)の作品とされています。  

 

 (注) パルマでは、大聖堂の中に「キリストの降下1178年」、洗礼堂側面には「最後の審判」「東方三王の礼拝」「エジプト逃避」「寓意」など、アンテラミーの作品が見られます。

 

 聖堂内は三廊式で、左右には四か所礼拝堂が並んでいます。

 一段と高くなった内陣は長く伸びています。

 

 主祭壇の奥のアプシスには玉座のキリストのフレスコ画があり、上には福音書記者の表象に囲まれたキリストの浮彫が見られます。

 右側廊奥の祭壇には聖母子像が置かれています。

 その手前には彩色されたローマ帝国時代の軍服を着て自らの首を持って立つ聖ドンニーノの像があります。

 地下聖堂は三廊式になっており、多くの柱の中にはロマネスク様式の柱頭飾りが見られます。

 

 左手にはローマ帝政時代の石棺が置かれています。ひときわ大きな石棺は聖ドンニーノの石棺で、上には斬首された首を持つ聖ドンニーノの像が立っています。

 石棺の周りには聖ドンニーノの生涯が浮き彫りになっており、聖ドンニーノがローマ帝国皇帝のマクシミリアンに冠を捧げる姿も見られます。

 なお、大聖堂博物館 (Museo del Duomo di Fidenza)には聖遺物容器やフレスコ画などが展示されていますが、注目はアンテラミー作の聖母子像です。この玉座の聖母子像のレプリカは聖堂の右側面にある鐘楼の壁龕に納められています。

 

 

聖ドンニーノについて  

 聖ドンニーノは4世紀初頭に殉教した聖人で、ローマ帝国皇帝のマクシミリアン (Maximian)の皇帝冠を保管する役割を命じられた軍人でした。キリスト教に帰依した後、ピアチェンツァで捕虜となり、フィデンツァの近くで斬首されています。

 

 伝承によれば、自ら斬首された首をもって歩き、現在大聖堂のある地に置いたとされ、この伝承が聖堂建立の元となっています。なお狂犬病の救済者とみなされています。

 

 聖ドンニーノのように、斬首された聖人が自らの首を持って歩いた殉教聖人は欧州に多く存在していますが、特に有名な例として、聖ドンニーノの半世紀ほど前の初代のパリ司教の聖ディオニシウス (Dionysius Parisiensis=聖ドニ:Denis de Paris)が挙げられます。

 

 聖ディオニシウスは斬首された後も信仰を告白し、モンマルトルの丘から天使の案内で2マイル歩いたとされています。このように自らの首を持った殉教聖人の例はパリ近郊の聖ディオニシウスの影響の強い地域に多く認められています。

 

 他には、フランスの例として、5世紀のランスのニカシウス (Nicasius Renensis)と年代不詳のアミアンのアッコルス (Accolus Ambianensis)が挙げられます。現在のベルギーでは、3世紀半ばのリモージュのウァレリア (Valeria Lemoviceneis)がいます。

 

2. Oratoria di San Giorgio 聖ジョルジョ聖堂

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 大聖堂前の広場から聖堂に沿ってジュゼッペ・ミケリ通り (Via Giuseppe Micheli)を進み、後陣からアッファンニ通り (Via Affanni)に右折して道に沿って進みます。道の名前がミケーレ・レオーニ通り (Via Michele Leoni)と変わり、右側にあります。

 1314年に建設されたゴティック様式の聖堂です。1443年、1575年に改築され、1617年には聖堂の向きが反対にされ、現在では東を向いています。正面の右側に接して、聖堂を支えるように大きな鐘楼があります。

 

 構造からみて単廊式ですが、右側面の構造から推測すると礼拝堂が2か所並んでいると思われます。

 

 1805年にナポレオンにより廃院とされ、その後病院などに起用されたようですが、現在廃墟となっており、中を伺うことはできません。聖堂の役割を果たしていません。

 

 聖ジョルジョと竜のフレスコ画は現在大聖堂博物館 (Museo del Duomo di Fidenza)に保管されています。

 

フレスコ画はこちら↓のページの一番下で見ることができます。

https://fidenza-luoghi.blogspot.com/2013/10/la-chiesa-delloratorio-di-san-giorgio.html

3. San Michele Arcangelo 聖ミケーレ・アルカンジェロ聖堂

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 駅前のジョエス・カルドゥッチ通り (Via Giosue Carducci)は二手に分かれています。南側の細い道を進むと、右にカーブして南下します。北側の太い道に行かないようにしてください。

 

 途中コルニニ・マルペリ通り (Via Cornini Malpeli)と交差すると、さらに細いアントニオ・グランシ通り (Via Antonio Gramsci)となります。通りを進み、アゴスティノ・ベレニニ通り (Via Agostino Berenini)と交差する左手前の角にサンタマリア・アヌンツィアータ聖堂 (Santa Maria Annunziata)があります。ここで左折して進む途中から道幅が広くなります。さらに進むと左側にあります。

 12世紀末に建設された聖堂を1533年にルネサンス様式で再建しています。その後正面は19世紀なって改装されています。

 

 正面の右側には煉瓦積みの武骨な鐘楼が控え、正面には三箇所の入口があり、その上には三箇所丸窓がありますが、白い漆喰壁になっており鐘楼と調和していません。

 

 ギリシャ十字形で中央にドームの載る、ブラマンテの聖堂を意識した建造になっている聖堂です。

 

4. San Pietro Apostolo 聖ピエトロ聖堂

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 聖ジョルジョ聖堂 (San Giorgio)の前のゴーイト通り (Via Goito)を100mほど南西に進むと聖堂前の広場に出ます。

 

 

 

 11世紀から12世紀にかけて、パルマの福音書記者聖ヨハネ聖堂 (San Giovanni Evangelista di Parma)の付属修道院でした。当初はアゴスティノ派の修道院でしたが、1588年になってベネディクト派がシスト5世 (Sisto)法王の認可を得て建設し1602年に完成した聖堂です。

 

 正面はルネサンス様式で、一か所の入口の両脇に片蓋柱が立ち、コリント式の柱頭飾りがついています。左手奥には鐘楼があります。

 聖堂内は三廊式で、中央主祭壇にはキリストの磔刑像が掲げられています。バロック様式に改装されています。

 両側廊に三か所の礼拝堂があり、左の一番目には洗礼盤があります。

 

 

 

 

 なお、聖堂を出てジョベルティ広場 (Piazza Gioberti)からベネデット・バッキーニ通り (Via Benedetto Bacchini)に左折して北東に進むと、市役所を過ぎジュゼッペ・ガリバルディ広場 (Piazza Giuseppe Garibaldi)を通り、突き当たりを左折すると街の中心のカブール通り (Via Cavour)に出ます。

 

5. Santa Maria Annunziata サンタマリア・アヌンツィアータ聖堂 (Santuario della Gran Madre di Dio)

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 駅前のジョエス・カルドゥッチ通り (Via Giosue Carducci)は二手に分かれています。南側の細い道を進むと、右にカーブして南下します。北側の太い道に行かないようにしてください。

 途中コルニニ・マルペリ通り (Via Cornini Malpeli)と交差すると、さらに細いアントニオ・グランシ通り (Via Antonio Gramsci)となります。通りを進み、アゴスティノ・ベレニニ通り (Via Agostino Berenini)と交差する左手前の角にあります。

 

 

 右折してしばらく進むと街の中心であるカブール通り (Via Cavour)に出ます。

 入口は一カ所のみで、両脇の片蓋柱は白く、その他は薄黄色の漆喰壁に塗られた小さな聖堂です。

 聖堂内は単廊式で、主祭壇にはキリストの磔刑像が掲げられ、アプシスにはマントを広げ信者を庇護する聖母が描かれています。外側とは反対に壁が白で柱が薄黄色に彩色されています。

6. Vergine Madre e Collegio dei Gesuiti 聖母マリア聖堂

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 駅前のジョエス・カルドゥッチ通り (Via Giosue Carducci)は二手に分かれています。南側の細い道を進むと、右にカーブして南下します。北側の太い道に行かないようにしてください。

 

 コルニニ・マルペリ通り (Via Cornini Malpeli)に左折し、突き当たりに聖堂が見えるので右折し、聖堂の脇に沿って進むと正面に出ます。

 13世紀に建設され、15世紀ころまではフランチェスコ派の聖堂として、巡礼者の療養所の役割まで果たしていましたが、ジェスイット派により名称も変えられ、18世紀初めにバロック様式に改造されています。

 

 正面には階段があり、入口が三箇所あります。三箇所の窓の他、両脇には壁龕があり、間を片蓋柱が二層部分まで伸びています。右奥には高い鐘楼が聳え、円筒形のドームが威容を誇っています。

 聖堂内は単廊式です。

 

 正面主祭壇には小さなキリストの磔刑像があり、奥に聖母子の絵が掲げられただけの簡素な作りです。

 両脇に2か所ずつ礼拝堂が並んでいます。大きな聖堂ですが、取り立てて見るべきものはありません。